JR西日本は、大糸線南小谷~糸魚川間について、「あり方の検討」をすることを明らかにしました。今後の取り組み次第によっては、廃線議論に進む可能性もありそうです。
持続可能な路線の方策
大糸線は松本~糸魚川間105kmを結ぶ路線です。松本~南小谷間70kmは電化していて特急も走る一方、南小谷~糸魚川間35kmは非電化のローカル線です。電化区間をJR東日本が運営し、非電化区間をJR西日本が運営しています。
JR西日本は大糸線の自社区間について、沿線自治体とともに「持続可能な路線としての方策」について検討を進めていくと発表しました。いわゆる「路線のあり方」を協議します。協議の行方によっては廃線も視野に入るため、重大な局面を迎えたといえます。
ワースト5の輸送密度
同社によると、当該区間の輸送密度は1992年度の1,282人をピークに、2020年度は50人にまで減少しています。
公表されているJR5社(東海除く)の線区別輸送密度では、芸備線東城~備後落合、只見線会津川口~只見、木次線出雲横田~備後落合、陸羽東線鳴子温泉~最上間に続く、5番目に低い数字です。
順位 | 会社 | 路線名 | 区間 | 輸送密度 |
---|---|---|---|---|
1 | 西 | 芸備線 | 東城~備後落合 | 9 |
2 | 東 | 只見線 | 会津川口~只見 | 15 |
3 | 西 | 木次線 | 出雲横田~備後落合 | 18 |
4 | 東 | 陸羽東線 | 鳴子温泉~最上 | 41 |
5 | 西 | 大糸線 | 南小谷~糸魚川 | 50 |
6 | 北 | 根室線 | 富良野~新得 | 57 |
7 | 東 | 花輪線 | 荒屋新町~鹿角花輪 | 60 |
8 | 東 | 久留里線 | 久留里~上総亀山 | 62 |
9 | 西 | 芸備線 | 備後落合~備後庄原 | 63 |
10 | 東 | 磐越西線 | 野沢~津川 | 69 |
11 | 東 | 北上線 | ほっとゆだ~横手 | 72 |
12 | 東 | 飯山線 | 戸狩野沢温泉~津南 | 77 |
13 | 東 | 山田線 | 上米内~宮古 | 80 |
14 | 西 | 芸備線 | 備中神代~東城 | 80 |
15 | 東 | 只見線 | 只見~小出 | 82 |
16 | 北 | 留萌線 | 深川~留萌 | 90 |
17 | 北 | 日高線 | 鵡川~様似 | 95 |
新型コロナウイルス感染症による経営悪化を受け、JR西日本はすでに芸備線で同様の協議を地元と進めています。大糸線はそれに続く形になります。
JR西日本は明言していませんが、検討にはバス転換も含まれる見通しで、将来的な廃止も視野に入れたものになりそうです。
南小谷まで電化の理由
特急も走る準幹線の南小谷以南と、単行気動車が走るローカル線の南小谷以北。大糸線の「南北格差」はなぜ生じたのでしょうか。
歴史を振り返ると、大糸線の前身は戦前の私鉄にさかのぼります。1916年までに信濃鉄道として松本~信濃大町間が開通。1926年に同区間が電化しています。
信濃大町~糸魚川間は国が建設し、信濃大町~中土間(大糸南線)と小滝~糸魚川間(大糸北線)が1935年に開通。1937年に信濃鉄道を国有化し、戦後の1957年に松本~糸魚川駅間が全通して大糸線となりました。
全通後、信濃大町以北の電化工事に着手し、1959年から1967年にかけて南小谷まで電化されました。しかし、そこで電化は打ち止めとなり、南小谷~糸魚川間は手つかずに終わります。
電化工事が南小谷で打ち止めになった理由は、観光振興が目的の電化だったためです。中央線からの特急・急行電車が白馬エリア北限の小谷村に乗り入れ可能になったことで目的を達し、糸魚川方面まで電化させる意味がなかったのでしょう。
なぜJR西日本なのか
電化、非電化区間に分かれていたとはいえ、国鉄時代には全線を直通する列車も走っていました。系統が完全に分断されたのは国鉄分割民営化以降のことです。
ここで疑問が浮かぶのは、国鉄分割民営化時になぜ大糸線全線がJR東日本とならず、電化区間がJR東日本、非電化区間がJR西日本と振り分けられたのか、という点でしょう。
これについては、大糸線は南北それぞれ建設された経緯と県境の位置から、全通後も松本~北小谷間が国鉄長野鉄道管理局の管轄、糸魚川~北小谷間が同金沢鉄道管理局の管轄になっていたことが大きな理由のようです。長野管理局がJR東日本、金沢管理局がJR西日本となったので、大糸線もそれに準じたということです。
南小谷~糸魚川間を走る気動車の車庫が糸魚川にあったという事情もありました。北小谷で区切るのは都合が悪いため、民営化直前に南小谷~北小谷間を金沢局に移したうえで、非電化区間全体がJR西日本の運営となりました。
この区間がJR東日本に組み入れられていたら、今とは違った扱いになっていたかもしれないと考える人は多いでしょう。しかし、歴史を振り返ると「南北格差」には理由があると受け止めざるを得ません。
南小谷以南は安泰なのか?
ただ、大糸線の現在の輸送密度を詳細に見てみると、JR東日本の電化区間の利用者も減少傾向にあります。
区間 | 2020年度 | 2018年度 | 1987年度 | 比率 |
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松本~豊科 | 7,280 | 9,437 | 13,717 | 53% |
豊科~信濃大町 | 3,047 | 3,811 | 6,907 | 44% |
信濃大町~白馬 | 511 | 797 | 2,668 | 19% |
白馬~南小谷 | 126 | 249 | 1,719 | 7% |
南小谷~糸魚川 | 50 | 102 | 987 | 5% |
※比率は2020年度の対1987年度比
とくに、白馬~南小谷間は126にまで落ち込んでいて、特急運行線区としては非常に低い数字です。対1987年度比は7%で、南小谷~糸魚川間の5%と似たようなものです。
信濃大町~白馬間ですら511と低迷しています。新型コロナウイルス感染症の影響を受ける前でも800前後にとどまっていて、低い数字です。大糸線の信濃大町以北は、国鉄時代から「特定地方交通線」程度の輸送量しかないうえに、近年の落ち込みが激しく、鉄道路線として厳しい状況に直面していることに違いありません。
つまり、本質的に、大糸線の「南北格差」は南小谷ではなく信濃大町を境に生じています。それにくわえて南小谷~糸魚川間は孤立した非電化区間で、効率の悪さが重なっています。
南小谷~糸魚川間については、今後、地元との協議により活性化策の取り組みを数年実施し、結果を見て判断するという形になりそうです。新幹線とも接続する路線ですし、新たな需要喚起策が実施され、実を結べばいいのですが。(鎌倉淳)