札沼線に東京から日帰りで乗ってみた。新十津川までは行けなかったけれど

2020年5月に廃止が決まっている札沼線のお別れ乗車をしてきました。東京からの日帰り旅行です。

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東京~浦臼間を日帰り

札沼線の非電化区間である北海道医療大学~新十津川間(札沼北線)47.6kmは、2020年5月7日に廃止されることが決まっています。ふと思い立って、2019年9月中旬の平日に、東京から日帰りで乗ってきました。新十津川まで行きたかったのですが、東京から日帰りで行けるのは浦臼までですので、東京~浦臼間の往復旅行です。

羽田空港を午前10時すぎの飛行機で出発。新千歳空港から快速「エアポート」、札幌から札沼線(学園都市線)に乗り継いで、石狩当別に着いたのは13時37分。石狩当別は、札沼線非電化区間へ向かう列車が出発する駅です。

浦臼行き列車は14時35分発。混雑に備えて早めに石狩当別駅に着いたのですが、平日で「青春18きっぷ」の期間外ということもあってか、ホームで列車を待っていたのは筆者だけ。1日1往復の新十津川行きは混雑すると聞いていたので、ちょっと拍子抜けしました。

札沼線

ボックスシートを独占

3番ホームに、キハ40形の単行車両が入線してきました。折り返しの浦臼行きです。乗車したのは筆者のほか、列車と共に折り返す旅行者1人と、地元客3人の計5名でした。

札幌から次の列車が到着して、20人くらいがが石狩当別駅のホームに降りたのですが、全員が改札口に向かい、浦臼行きに乗り継ぐ人はいません。札沼線は電化区間と非電化区間の輸送密度の差が激しく、電化区間17,957に対し、非電化区間は62。石狩当別駅のホームの風景は、その差を実証しているかのようです。

定刻に石狩当別駅を発車し、次の北海道医療大学駅で一人を降ろします。医療大学駅では、札幌方面の列車を待っていた地元客らしき女性が、こちらの車両にカメラを向けました。今のうちに写真を撮っておこうという意識が、鉄道ファンでない地元客にもあるようです。

医療大学駅を出発すると、いよいよ廃線が予定されている区間に入ります。現在、乗っているのは4名。これだけ乗客が少ないと、ボックスシートを独占してのんびりできます。赤字で四苦八苦しているJR北海道には申し訳ないですが、この閑散こそが「ローカル線の旅」の醍醐味に違いありません。

時が止まった車内

車窓には、石狩平野の田園風景が広がります。実りの季節、黄金色の大地です。

札沼線

青いモケットのボックスシートに腰掛け、天井を見上げると、「JNR」のマークが入った扇風機。ガラガラの車内には、ディーゼルのモーター音だけが響きわたります。時が止まったような車内で、昔から大きくは変わっていないであろう田んぼを眺めていると、一体自分はいつの時代を旅しているのだろう、という不思議な気分にとらわれました。

札沼線

ほとんど利用されていないような無人駅から、駅めぐりをしているとおぼしき旅行者がときおり乗ってきて、数駅で降りていきます。貴重な地元客2人は石狩月形で下車し、終点浦臼まで乗ったのは、筆者を含めた旅行者2人だけでした。

札沼線

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浦臼駅

浦臼の到着前には、「折り返し乗車する方も、列車から一度降りて、荷物などで席取りをしないようにお願いします」という旨の自動音声が流れました。ガラガラ列車には無用のアナウンスに思えましたが、週末や新十津川折り返しの列車では、こうした措置が必要なのでしょう。自動音声が準備されていることからも、混雑時の状況が察せられます。

浦臼15時34分着。石狩当別から約1時間かかりました。浦臼駅は、1日5本の列車が折り返す、札沼北線最大の「ターミナル」です。しかし、設備は単線1面1線の棒線駅で、「ふれあいステーション」と題する待合所があるだけの無人駅でした。

札沼線浦臼駅

かつては相対式ホームの2面2線に、貨物用の側線、転車台もあったそうです。町の玄関口としての風格を備えていたのでしょうが、いま、その面影はありません。

札沼線浦臼駅

20分ほどの折り返し時間で、戻りの列車は15時56分発。相変わらず2人の旅行者を乗せて出発します。往路でも見かけた駅めぐりの旅行者を乗せたり降ろしたりしながら、石狩月形に16時22分に着きました。

筆者はここで途中下車します。ホームには背広を着た男性のグループが十数人。何かの視察のようで、こうした団体が乗車すると、車内の雰囲気が変わりそうです。

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石狩月形駅

石狩月形は、札沼北線唯一の交換駅です。往路は列車交換がありませんでしたが、今回は石狩当別を15時54分に出た列車とすれ違います。

札沼線石狩月形

石狩月形以北はスタフ閉塞なので、石狩月形駅ではタブレットの授受という、いまとなっては貴重な場面を見ることができました。これももうすぐ見納めです。

札沼線タブレット

1面2線の細い島式ホームに、側線が形を留めていて、構内踏切を渡ると1957年(昭和32年)竣工の駅舎に導かれます。

札沼線石狩月形駅

交換業務のため駅員も配置されていて、札沼北線で唯一の有人駅です。そのためか、駅の手入れは行き届いていますし、待合室の中央にはストーブが置かれ、改札口には出発案内札が吊されています。昭和の北海道の鉄道駅の雰囲気が、変わらず残されていると感じられました。

札沼線石狩月形駅
札沼線石狩月形駅

大袈裟にいえば「有形鉄道遺産」といったところでしょうか。これがあと数ヶ月で失われてしまうのかと思うと、切なくなります。

札沼線廃止後の石狩月形駅は、当別方面へのバスと浦臼方面へのバスが発着する交通結節点となる見込みです。現駅舎の扱いがどうなるか気になりますが、いまのところ発表はありません。

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石狩月形まで残せないか

石狩月形駅がある月形町は、札沼線の廃止に最後まで抵抗した自治体です。札沼線がなくなると、月形町中心部の最寄駅は北海道医療大学駅になりますが、約17kmも離れています。函館線岩見沢駅までは約19kmもあります。

同じ札沼線でも、浦臼駅から函館線奈井江駅までは約7km、新十津川駅から函館線滝川駅までは約4kmにすぎません。札沼線沿線の自治体で、月形町は路線廃止により鉄道駅から最も大きく離れる自治体になるわけです。廃止に抵抗したのも無理はありません。

月形町は、北海道医療大学~石狩月形間17.4kmだけでも残せないかと検討しました。石狩月形駅から札幌駅まで47.9km。距離的には札幌市までなんとか通勤圏です。北海道医療大学~石狩月形間を電化区間に組み込めば、状況を変えられるかもしれません。

月形町は廃止議論のなかでこれを主張し、電化にくわえ快速列車の運行や最高速度の向上などを提案しました。仮に北海道医療大学~石狩月形間を電化すれば、札幌からの学園都市線電車が石狩月形まで来ることになり、ローカル線は一躍、近郊電車区間に変貌します。

札沼線石狩月形駅

高すぎる存続費用

こうした例がないわけではなく、たとえば広島県の可部線は、札沼線と同様に非電化区間の可部~三段峡間46.2kmが廃止されましたが、その後、可部~あき亀山間1.6kmが電化して復活を遂げています。

とはいえ、北海道医療大学~石狩月形間の輸送密度は2016年度で147人。およそ近郊電車が走る輸送密度ではありません。距離17.4kmは、可部~あき亀山間の10倍以上です。

月形町の求めに対し、JRは次のように回答しました。いわく、最高時速65km/hを85km/hへ高速化するのに線路強化などで20億円、さらに電化に27億円かかる。快速運転については、「途中駅で待避できない」「札幌市内の各駅の列車本数が減少」などと理由を挙げ、月形町の要望に応じませんでした。

さらに、現状のまま石狩月形まで存続させた場合は、年間2億1000万円の営業赤字が生じると見積もりました。存続する場合、月形町は相応の負担を求められます。

結局、電化・高速化費用は高すぎますし、現状の貧弱なローカル線を毎年2億円かけて残す理由にも乏しいというのが現実でした。最終的に月形町は存続を断念しました。

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月形温泉

次の列車まで2時間弱あるので、駅を出て町歩きします。

石狩月形駅を出て、閑散とした駅前通りをまっすぐ進むと、国道275号線との交差点に行き当たります。国道をクルマやトラックがすっ飛ばしますが、人通りはほとんどありません。交差点角のコンビニエンスストアに、買い物客がちらほらしているだけです。

札沼線石狩月形

月形町は、近郊電車を通せば、距離的には札幌の通勤圏たり得るのかもしれませんが、訪れてみれば人口3,100人あまりの静かな町です。人口減少が進む時代に、この小さな町のために17kmも電車区間を延伸するのは、やはり無理があると察せられます。

駅から10分ほど歩いた場所に、「月形温泉ゆりかご」という温浴施設がありました。

月形温泉ゆりかご

1987年にオープンし、1998年に改築したそうで、打たせ湯、ジャグジー、露天風呂、サウナを備えます。バブル期以降に各地にできた標準的な温泉保養施設といったところで、時が止まったような懐かしさを、ここでも感じます。

平日だからか、客は数人。ひんやりとした空気のなか、露天風呂の茶色い湯に浸かり、高い空を見上げると、ずいぶん遠い土地に来たことを実感します。今朝、東京にいたのが信じられませんし、今夜帰るのも信じられません。

夕暮れの人気のない道を歩いて、駅に戻りました。

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昼間とは別の顔

石狩月形18時17分発の列車が浦臼からやって来ました。乗車してみると他に客はいません。浦臼~石狩月形間は、乗客ゼロだったようです。

札沼線石狩月形駅

石狩月形では、筆者のほかに数人の地元客が乗りこみ、石狩当別へと向かいます。この列車には、鉄道ファンの姿は見当たりません。日没後のローカル線には、昼間とは別の顔があります。

北海道医療大学でまとまった客を乗せ、石狩当別に18時50分着。乗客は跨線橋を渡り、学園都市線の札幌行きに乗り込んでいきました。

これで、札沼北線の旅は終わり。お世話になったキハ40形ともお別れです。JR北海道はキハ40形の淘汰を進めていますので、この車両も札沼北線と運命を共にするのでしょう。あるいは、どこかに転属になるのかもしれませんが、それでも先は長くなさそうです。

石狩当別で乗り継いだ6両編成の近郊電車は、同じ札沼線でも、キハ40形とは別世界です。ネオン輝く札幌で快速「エアポート」に乗り換え、新千歳空港から飛行機で帰京。羽田空港には23時過ぎに帰り着きました。

学園都市線

充実した旅

今回乗った札沼北線は北海道医療大学~浦臼間33.8km。新十津川までなら47.6kmですので、廃止予定区間の7割ほどです。

東京から北海道へわざわざ行くのに、あえて日帰りにする必要はありませんし、時間があれば札幌に泊まり新十津川まで往復したい気持ちは、筆者にもありました。

とはいえ、東京からの札沼線日帰り旅行は、それなりに充実したものとなりました。廃止予定区間の全線に乗れなかったのは残念ですが、そのぶん空いている列車を楽しめましたし、ローカル線ならではの空気感を味わえました。こういう旅も悪くありません。

廃線まで、あと7か月ほどありますが、廃止間際の混雑列車に乗るのは気が進みませんので、筆者が札沼北線に乗るのは、おそらくこれが最後でしょう。これまで数度乗っただけですが、いつも良い天気で、美しい石狩平野の旅を楽しませてくれました。

ありがとう、そして、さようなら。(鎌倉淳)

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