JR東日本が「高輪築堤」の保存計画を公表しました。歴史的価値が高い「第七橋梁」などを現地保存し、信号機跡などは移設保存とする方向です。
日本最古の鉄道遺構
「高輪築堤」は、JR山手線・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅周辺で出土した鉄道遺構です。1872(明治5)年に開業した日本初の鉄道を建設した際、現在の田町駅付近~品川駅付近に作られました。長さ約2.7kmにわたって、海に盛り土をして石垣で固め堤とし、その上に線路を敷設したものです。
高輪築堤は、2019年に、品川駅改良工事の現場から石積みの一部が見つかりました。さらに、2020年7月に高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発現場から、大規模な遺構が発見されています。遺構には海岸と沖合の水路の確保のために架けられた「第七橋梁」や、日本初の信号機が設けられた「信号機跡」などが含まれています。
検討委員会がとりまとめ
これまでに確認された遺構の総延長は約1.3kmに達しています。非常に貴重な鉄道遺産であることは明らかですが、発見されたのが大規模な再開発を予定する敷地内ということもあり、JR東日本は全面保存に難色を示してきました。
一方で、明治初期の技術を示す貴重な産業遺産であるという指摘も多く、全面的な保存を求める声も高まっていました。
JR東日本は社内に有識者による検討委員会を設置して、保存方法を検討。その調査・保存方針が4月21日に公表されました。詳細を見てみましょう。
「土木遺産を象徴」
検討委員会は、まず、築堤の文化財的な価値を「日本の近代化土木遺産を象徴する遺跡として、重要な位置を占めている」と評価。たんなる「鉄道遺産」ではなく、「日本の近代化土木遺産の象徴」と位置づけ、高い歴史的価値を認めました。
第七橋梁については「明治時代の錦絵に描かれた当時の風景をそのまま残しており、西洋と日本の技術を融合して造られたものとして捉えることができる」と技術的価値を分析。また、信号機土台部については、「鉄道らしい景観を呈している」と景観的価値を認めました。
保存方針としては、第七橋梁を含む約80m(3街区)と、公園が予定されている区域(2街区)に隣接する40mを現地保存する方針を示しました。信号機土台部を含む約30m(4街区)については、近隣に移築保存とします。また、プロジェクト第2期にあたる部分(5街区、6街区)は、築堤を土に埋めたまま現地保存し、土地を道路などとして活用します。
残る部分は記録保存とし、調査・記録の後、取り壊します。
公開方法
保存後の公開方法については、橋梁部を含む80mは、建設当時の風景を感じられるような形で公開します。
公園隣接部の40mについては、再開発で建設する文化創造施設と一体的に公開します。
信号機土台部を含む約30mについては、高輪ゲートウェイ駅前の国道15号線沿いに移設する方向で調整します。
このように、高輪築堤を保存する措置を講じながら、再開発プロジェクトについては、第1期を予定通り2024年度に開業する方針です。
JR東日本は、高輪築堤を保存・公開するにあたり、最新技術を活用して当時の築堤の景観を体験できる展示や、まちづくりのなかで連続的に築堤位置を感じられる工夫をする、とも発表しています。明記はしていませんが、「記念館」のような施設を、再開発エリアに設けるということのようです。
想定内の最大限
大都市の真ん中で発掘された遺跡が、部分的とはいえ現地保存されることになったのは、喜ばしいことでしょう。
保存範囲については、「再開発に影響を及ぼさない最大限」という印象で、当初から想定された範囲内に感じられます。遺構の保存に対して公的な補助が行われないならば、JR東日本としてやれることは、このくらいが限度なのでしょう。これ以上の保存を行政や市民が求めるのであれば、何らかの補償など財政的な支援が必要になりそうです。
第2期以降の再開発エリアの築堤については、埋め戻しまたは発掘せずという判断のようで、これも「保存」の本来的な意義を考えれば妥当な措置に感じられます。
ということで、JR東日本を批判する気は全くないのですが、全長1300mのうち、現地保存して公開される範囲が120m程度にとどまるというのは、やはり残念といえば残念です。「規模」も遺跡の魅力のひとつですが、それが失われてしまうのは、もったいない気がしてなりません。
結局のところ、高輪築堤には、集客施設としての「財産的価値」がほとんど認められなかった、ということなのでしょう。最近よく指摘されることですが、文化財をお金に換える方法を、もう少し研究できないかと思わなくもありません。(鎌倉淳)