JR留萌線の廃止が決定しました。石狩沼田~留萌間は先行して2023年3月に廃止となります。少し早いですが、8月下旬に乗り納めをしてきました。
輸送密度90人
JR留萌線は、深川~留萌間50.1kmを結ぶ路線です。2021年度の輸送密度はわずか90人で、JR北海道が廃止を提案していました。協議の末、2023年3月に石狩沼田~留萌間を、2026年3月に深川~石狩沼田間を、それぞれ廃止することが決まりました。
石狩沼田~留萌間の廃止までは、7ヶ月ほどしかありません。無雪期に限れば2~3ヶ月程度です。廃止直前は混雑するので、一足早くお別れ乗車に行ってみました。
思ったより少なく
8月下旬の平日、深川13時28分発の留萌行きはキハ54形1両編成で入線してきました。乗車したのは20人弱でしょうか。クロスシートに1~2人ずつ座り、ロングシートに数人がばらけて座り、だいたい埋まるくらいの乗客です。
北海道のローカル線の日中時間帯とみれば多い方かもしれませんが、青春18きっぷ期間中で、大学などはまだ夏休みと考えれば、思っていたよりは少ない、という印象です。相当数の鉄道ファンがいたものの、お別れ乗車で殺到しているとまではいえない状況です。
この日の乗客も、旅行者ばかりではなく、3割くらいは地元客や用務客とおぼしき利用者でした。
窓を開けて
13時28分、定刻に深川駅を出発。気候がいい日で、乗ったときから車両のあちこちの窓が開いています。外の空気に触れながらの列車旅は贅沢です。冷房のない車両で、天井では「JNR」マークの扇風機が回ります。
10分ほどで秩父別駅着。買い物袋を抱えた地元客が降りました。
石狩川の支流・雨竜川を渡ると、石狩沼田駅に到着します。
石狩沼田駅は、かつては、札沼線も発着していた乗換駅でした。同線新十津川~石狩沼田間の廃止は1972年。半世紀も前です。今となっては使われなくなった島式ホームがかつての繁栄を偲ばせます。
いま使われているのは1面1線のみ。それでも、ターミナル駅の余韻は少し残されています。
7ヶ月後は、3年間限定の留萌線終着駅として、最後の役割を果たすことになります。
分水嶺を超えて
NHKドラマ『すずらん』の舞台となった恵比島駅。ドラマで使われた「明日萌駅」の駅名標がかかります。
恵比島駅を出ると、列車は山間に入っていきます。石狩川水系と留萌川水系を隔てる分水嶺で、留萌線のハイライトです。
といっても、標高差はそれほどなく、キハ54は軽快に走り抜けていきます。
高速道路を横目に
峠下駅を出ると、左手に高規格道路が見えてきます。深川留萌自動車道です。2020年に留萌インターまで全通しました。
最新技術で作られた立派な高速道路は眩しく、札幌や旭川から留萌へのアクセスの主役が道路であることを、否応なしに思い知らされます。
高速道路に比べると、単線の留萌線は見劣りします。深川~留萌間の開業は明治43年(1910年)。明治時代に作られた施設をいまも使っているのです。
跨線橋は閉鎖され
左窓が開けてきて留萌市中心部に入ります。留萌川を渡ると、終点留萌駅です。留萌まで乗り通したのは、10人あまりでしょうか。2、3人が地元客で、それ以外はだいたい旅行者でした。
留萌駅は2面のホームを備えますが、現在使われているのは駅舎に接した1番線のみ。島式ホームへの跨線橋は閉鎖されています。
改札口は明るく
留萌駅はかつては増毛、羽幌方面にまで路線が延びていたターミナルでした。そのため、1番ホームは広く風格があります。しかし、1両編成の列車が停まっている今は、その広さをもてあましているようです。
改札口を抜けると、駅舎内は明るく、活気さえ感じます。輸送密度100人以下の路線の終着駅とは思えません。1年平均の輸送密度は低くても、夏期はやはり利用者が多いからでしょうか。
堂々とした駅舎
駅前ロータリーも広く、駅舎も堂々とした作りです。現駅舎の完成は1967年。当時の留萌市の人口は約4万人で、鉱業や水産業で賑わっていた時代でした。往時の繁栄を伝える駅舎ですが、見た目の老朽化は否めません。
留萌市では、留萌線廃止後、現在の留萌駅周辺にバスターミナルを整備する方針です。その際に、現留萌駅舎をどうするのかは報じられていませんが、おそらくは取り壊されてしまうのでしょう。
最後の旅
1時間半ほど留萌市内を散策して、折り返し16時17分発の列車に乗車します。帰りもやはり利用者は十数人。地元客と旅行者が交じります。
約1時間かけて、来た道を戻ります。途中、峠下駅で交換。留萌線はおおむね2~3時間おきに運転されているので、朝夕には列車交換があります。
深川駅に到着したのは、17時15分。接続する札幌行き特急とは4分の接続です。留萌線との別れを惜しむまもなく、札幌方面行きのホームに移動します。
札幌行きホームからは、乗っていた留萌線の車両の姿が眺められます。線路を挟んで隣のホームなのに、ずいぶんと遠く感じられました。
筆者は廃線間際の混雑は好きでないので、これが最後の「留萌行き」の姿になりそうです。初めて乗ったのは1986年でしたので、出会いから36年目のお別れです。
楽しい旅をありがとうございました。そして、さようなら。(鎌倉淳)