「高輪築堤」の主要部分である「第七築堤」が現地で保存される方向になりました。JR東日本の深沢祐二社長が、再開発計画の変更などを明らかにしました。将来的に世界遺産登録の可能性もあるのでしょうか。
高輪ゲートウェイ駅周辺で出土
「高輪築堤」は、JR山手線・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅周辺で出土した鉄道遺構です。1872(明治5)年に開業した日本初の鉄道を建設した際、現在の田町駅付近~品川駅付近に作られました。長さ約2.7kmにわたって、海に盛り土をして石垣で固め堤とし、その上に線路を敷設したものです。
その際、海岸と沖合の水路の確保のため橋梁が設けられました。起点の新橋駅から数えて七つめに作られたのが「第七橋梁」です。
高輪築堤は、2019年に品川駅改良工事の現場から石積みの一部が見つかり、2020年7月に高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発現場から、第七橋梁を含めた大規模な遺構が発見されました。これまでに確認された遺構は計約1.3kmに及びます。
JR東日本は、高輪築堤の遺構発見当初から「一部現地保存および移築保存」の方針を表明していました。これに対し、日本考古学協会が全面保存求める要望書や声明を出すなど、現地での全面保存を求める声が出ていました。
与党からも保存の声
とはいえ、再開発地区での遺構の保存は簡単ではありません。遺構はビルの建設予定地にもかかっていますので、大規模な現地保存をするとなると、再開発計画の見直しが必要になります。深沢社長は2020年12月の記者会見で、「鉄道が初めて走った場所で出てきた遺産で、大変意義深い」と価値を認めたものの、保存に関しては「開発との整合性を検討する」などと、慎重な言い回しにとどめてきました。
一方で、現地保存を求める声は、学会だけでなく、日本政府や、与党・自民党からも上がるようになりました。2月16日には、萩生田光一文部科学相が現地を視察。「明治日本の近代化を体感できる素晴らしい文化遺産」「国史跡や特別史跡に相当し、世界遺産の『明治日本の産業革命遺産』にも遜色ない」と絶賛しました。さらには、「移設して価値が保存される性格のものではない。現地にあって文化財保護法の史跡の指定をされて初めて、より保存の強化や価値が高まる」などと、踏み込んだ発言をしています。
3月16日には、自民党有志による議員連盟も設立。福井照元沖縄・北方担当大臣が会長となり、石破元幹事長や岸田前政務調査会長といった元閣僚も参加しました。23日には、文化審議会文化財分科会が、現地保存を求める建議(意見表明)を文化庁の宮田亮平長官に提出しています。
再開発に伴う遺跡出土はよくあることですが、政府や自民党がこれだけ保存に前向きになるのは珍しいですし、文化財分科会が保存建議を出すのは、かなり異例です。
設計変更をして保存へ
こうした政府・与党からの声を踏まえ、深沢社長も現地保存の方針を明確にしました。3月23日に開かれた自民党の会合で、再開発計画を変更し「第七橋梁」を含めた築堤の一部を現地保存する考えを初めて明らかにしました。
同日付の東京新聞によりますと、保存のため、再開発で予定されているビル4棟のうち1棟の設計を見直します。詳細は明らかではありませんが、泉岳寺駅東側に位置する2街区または3街区で設計変更が行われると見られます。
そのほか、公園予定地を横切る石垣も現地保存する方針とのことで、2街区の北にある部分が「遺跡公園」になりそうです。それ以外の遺構は移築、または調査後に埋め戻す方向で検討するとのことです。
遺構は、広場予定地や道路用地と重なる部分もあるので、その部分は破壊せずに埋め戻すことも検討し、やむを得ない部分は移築する、ということでしょう。保存に伴うビルの設計変更などの費用は概算で300億~400億円とのことです。
『明治日本』が影響か
都市の再開発現場で埋蔵文化財が見つかるのは珍しいことではありませんが、多くの場合、発掘後に破壊する「記録保存」にとどまるのが現状です。埋蔵文化財を片っ端から現地保存していたら、都市の再開発は進まなくなりますので、やむを得ません。
ただ、今回の遺構は世界的に見ても珍しい19世紀の海上鉄道遺構であることや、明治初期の産業遺産としても貴重であることから、保存へ向けた声が非常に大きくなりました。何よりも、政府・与党が保存に向け強く前向きだったことが、JR東日本の姿勢の変化に影響したのは間違いないでしょう。
菅首相は、内閣官房長官時代に『明治日本の産業革命遺産』の世界遺産登録を強く推進した実績があります。2013年に、文化庁が『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』を世界遺産に推薦していたにもかかわらず、内閣官房が『明治日本の産業革命遺産』を推薦し、先に世界遺産登録を実現しました。このとき、『長崎』でなく『明治』をユネスコに推薦するという裁定を行ったのが、官房長官だった菅首相です。
萩生田文科相の「『明治日本の産業革命遺産』と遜色ない」発言は、そうした菅氏の実績を背景にしていると受け止めるのが自然です。それが、深沢社長が保存表明を自民党の会合でおこなったことにつながっているのでしょう。
そうした経緯を考えれば、「高輪築堤」が今後、『明治日本の産業革命遺産』の構成資産への追加登録を目指す可能性もあるのではないか、と筆者は考えます。単独での世界遺産登録は難しくとも、『明治の産業遺産』としてみれば、他の構成資産に比べて遜色ないのはたしかです。
なんであれ、貴重な鉄道遺産が現地保存されることは、素晴らしいことです。JR東日本は以前から文化財保護には可能な範囲で協力してきましたし、今回も政府の要望に添う形での決着を図るでしょう。現地保存がどの程度の範囲になるかなど気になる部分も残りますが、遺産を「資産」として街作りにも活用することを願わずにはいられません。(鎌倉淳)