稚内とサハリンを結ぶ定期航路が、2019年夏は運航されないことになりました。今後の再開も不透明で、航路の存続の先行きははっきりしません。
「稚泊航路」以来の伝統
稚内とサハリンのコルサコフを結ぶ航路は、北海道とロシアを結ぶ唯一の定期航路です。南樺太を日本が統治していた時代には、この区間に「稚泊航路」と呼ばれた鉄道連絡船が就航していたという伝統があります。しかし、戦後、航路は途絶してしまいました。
1995年に、ロシアの船会社による運航で、戦後初めて定期航路が設定され、1999年からは東日本海フェリーが運営を担い、日本船籍の「アインス宗谷号」が就航。東日本海フェリーがハートランドフェリーと名を変えてからも、夏季の定期航路として運航が継続されてきました。
ロシアとの共同運航
しかし、乗船率は低迷し、ハートランドフェリーは2015年度を最後に撤退してしまいます。運航継続を模索した稚内市は、第三セクター「北海道サハリン航路」(HSL)を設立。サハリン州の「サハリン海洋汽船」(SASCO)を運航主体として、2016年に共同運航を開始しました。SASCOが運航し、HSLが日本側の総代理店となっています。
共同運航でも乗船率は改善せず、2018年は8~9月に16往復32便が運航したものの、利用客は678人で、乗船率は26%にとどまりました。運航開始の決定が遅れたことや、欠航率が3割と高かったことなどが、利用者数が伸び悩んだ理由とみられます。
2019年度の運航に関しては、船体を変更しての継続を模索したものの、SASCOから適当な船が見つからないことなどを理由として、「運航見送り」の意向が示されました。稚内市の工藤広市長は、6月17日の市議会で、市としての運航支援を見送る意向を表明。これにより、稚内・サハリン航路は、1995年の運航開始以来、24年ぶりに途絶することになります。
サハリン知事選を控え
2020年以降の運航に関しては、未定です。サハリン州では航路維持に力を発揮してきたオレグ・コジェミャコ前知事が、2018年9月に沿海地方知事代行に転任。リマレンコ・ワレリー・イーゴレヴィチ氏が知事臨時代行を務めています。
次のサハリン州知事選は2019年9月に予定されていて、リマレンコ氏が立候補の意向を示しています。新知事が正式に誕生すれば、サハリン航路について、前向きの力が働くかもしれませんが、現状では何ともいえません。
2020年の運航は再開は、現時点では不透明と言わざるを得ません。北海道とサハリンを結ぶ貴重な架け橋ですし、再開を期待したいところです。(鎌倉淳)