臨時特急「ニセコ」に乗ってみた。ノースレインボーエクスプレスにも乗り納め

記憶に残る旅

函館~札幌間を結ぶ特急「ニセコ」に乗ってみました。ノースレインボーエクスプレスで函館線山線を走破する臨時列車です。

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夏の終わりに運転

特急「ニセコ」は、函館~札幌間を結ぶ臨時列車です。函館本線のいわゆる「山線」(長万部~倶知安~小樽)を経由します。

SL「ニセコ」が廃止された後、2015年に長万部~札幌間で運転されたのを皮切りに、2016年からは函館~札幌間で毎年、夏の終わりに運転されてきました。当初の車両はニセコエクスプレスで、2017年からはキハ183系が充当されています。

2021年は9月4日~23日の週末を中心に計16日間の運転。初めてノースレインボーエクスプレス車両が投入されています。9月上旬の平日に乗ってみました。

ノースレインボーエクスプレス

「はやぶさ」と接続

特急「ニセコ」は、東京からの新幹線接続を考慮したダイヤが組まれています。新函館北斗で下りは「はやぶさ13号」の接続を受け、上りは「はやぶさ32号」に接続します。東京を朝9時頃に出れば夕方17時頃に倶知安に着くことができ、倶知安を朝10時頃に出れば、東京に夕方18時頃に到着できます。ニセコ観光に北海道新幹線を活用してもらうための試みだそうです。

特急ニセコ2021ダイヤ
画像:JR北海道

せっかくなので、筆者も「はやぶさ13号」から新函館北斗で乗り継いでみました。大宮で乗車すれば約3時間半で新函館北斗に到着。「はるばる来たぜ~♪」という実感を覚えないほどの近さです。

新函館北斗から乗車したのは十名程度でしょうか。新型コロナ禍という時節柄もあり、一般観光客は少なく、鉄道ファンと見受けられる方々がほとんどです。定刻14時22分発。特急「ニセコ」は、大沼と駒ヶ岳を眺めながら、ゆっくりと進んでいきます。

駒ヶ岳

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ノースレインボーエクスプレス

ノースレインボーエクスプレスの竣工は1992年。バブル期に誕生したジョイフルトレインです。当時、JR各社で流行したハイデッカーで、一部は二階建て。天窓からは空を仰げます。民営化から間もない頃の、開発者の意欲を感じさせる車両です。

戦後絶頂期の日本経済を背景に、JR北海道も未来を向いていた時代でした。こうした車両に乗ると、あの頃の北海道の鉄道が、今よりよほど活況だったことを思い出さずにはいられません。

ノースレインボーエクスプレス

5両編成で、指定席3両、自由席2両です。歩いてみると、指定席は3割程度、自由席は2割程度の埋まり方でしょうか。進行方向右側(噴火湾側)の指定席は全部埋まっているものの、自由席は空いている席がある、という程度です。自由席が指定席より空いているのは、こうした観光列車に総じてみられる傾向です。

ノースレインボーエクスプレスは、最前列からの前方展望が魅力です。そう思って先頭車両に行ってみると、最前列は4席ともファンらしき人で埋まっていました。中央には三脚に据えたビデオカメラを回している御仁が陣取っています。そこだけ何となく緊張感が漂っていて、早々に退散しました。

ノースレインボーエクスプレス

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長万部から山線へ

好天に恵まれて、駒ヶ岳も内浦湾も車窓から美しく眺めることができました。車内放送では簡単な車窓案内と観光ガイドをしてくれます。

15時47分長万部着。ご当地キャラの「まんべくん」がお出迎えしてくれました。

特急ニセコ

11分停車なので、駅の外に出てみます。名物駅弁「かにめし」が買えないかと直販所まで行ってみましたが、新型コロナによる時短で営業時間外。想定内でしたが、駅周辺に何も商店がなく買い物できないのは残念です。

広々としたホームは爽快でした。

長万部駅特急ニセコ

長万部を出発し、いよいよ山線に入ります。列車のスピードが落ち、並行する国道を走る軽自動車に追い越されます。速度違反をしているのでしょうが、軽自動車に特急列車が追い越されるあたりに、この路線の苦しさを感じずにはいられません。

黄金時代

函館山線には、かつて定期特急が走っていました。1967年に誕生し、1987年に廃止された特急「北海」です。

1975年の時刻表を見ると、特急「北海」は函館~旭川間で運転されていて、函館本線全線を走破する看板列車でした。繁忙期にはなんと網走まで延長運転しています。当時は、北海道を東西に貫く基幹列車だったのです。全車指定席で食堂車も連結した、堂々たる10両編成です。

函館~札幌間の停車駅は長万部、倶知安、小樽のみ。所要時間は4時間25分でした。室蘭線特急は4時間5分ほどでしたので、それより20分余計にかかるものの、大差というほどではありませんでした。

そのほか、山線には急行「ニセコ」も走っていましたし、急行「宗谷」も函館発着時代は山線経由でした。「らいでん」という、岩内や蘭越と札幌を結ぶ急行も走っていましたし、「いぶり」という胆振線経由の循環急行(札幌~札幌)もありました。夜行鈍行「43/44列車」も存在感を放っていました。

振り返れば、この頃が山線の黄金時代でした。1980年代に入ると優等列車は徐々に縮小されていき、1986年には特急「北海」が廃止され、急行「ニセコ」が不定期列車に格下げされてしまいます。

1988年の時刻表を見てみると、山線に定期運行の優等列車は見当たりません。岩内線も胆振線も路線図から姿を消しています。わずか10年で、ここまで変わってしまうのかと驚くような凋落ぶりです。

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新旧顔合わせ

特急「ニセコ」の車窓から見えるのは、黄金時代から何十年も大きく変わっていないかのような駅のホームです。

その一つ、黒松内駅到着。停車しますが、乗降はありませんでした。

黒松内駅

やがて西窓にニセコアンヌプリ、東窓に羊蹄山が見えてきて、ニセコに到着します。

最新鋭のH100形普通列車と交換。新旧車両の顔合わせです。この2ショットが撮れる期間は、あとどれだけあるのでしょうか。

ノースレインボーとH100

車内販売

ニセコを出ると、倶知安までの約20分間限定で、車内販売があります。

扱う商品は地元のお菓子などで、飛ぶように売れていきます。函館~札幌間は約5時間。乗客も飽きてくる頃合いの車内販売は、絶妙のタイミングなのでしょう。

特急ニセコ車内販売

山線の中心駅・倶知安には17時25分に到着しました。ホームから羊蹄山を望めるこの駅は、いつ来ても爽快です。

倶知安駅

駅西側では新幹線ホームの工事の準備が始まっている様子。10年後には、こののどかな駅が、新幹線駅に変貌します。

倶知安駅

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余市~小樽は別格

ニセコ、倶知安ではそれぞれ乗り降りがありました。下車したのは観光客や鉄道ファンが多く、乗車したのは札幌に向かう地元客が多いように見受けられました。「ニセコ」にわざわざ乗りに来たというよりは、たまたま走っていたので札幌まで利用しよう、ということでしょうか。

倶知安を出た頃には日が暮れかけていて、18時20分着の余市はほぼ真っ暗になりました。

余市駅

余市を出ると、見違えるように速度を上げて小樽へ疾走。100km/hも出てないはずですが、これまでの速度が遅かっただけに、目の覚めるような走り方です。

北海道新幹線並行在来線の協議で、余市~小樽間だけ残す案が浮上していますが、実際に乗り通してみると、この区間だけが山線内で「別格」であることが理解できます。軽自動車に追い越された長万部あたりの頼りなさは消え去って、特急らしい風格でクルマを追い越していきます。

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二大観光地を結ぶ

18時41分、小樽着。少なからぬ客が席を立ちます。同じ車両では、函館から乗り続けていたご婦人のグループも下車しました。純粋な観光旅行の移動手段として、特急「ニセコ」を活用されていた模様です。私の後ろに座っていた一人客の乗り鉄らしき男性も小樽で降りました。

小樽駅

気がつけば、車内の乗客はそれなりに入れ替わっています。鉄道ファン向けのイベント列車と勝手に思っていましたが、普通の観光客や用務客もそれなりに見受けられ、沿線の足としても利用されているようです。新函館北斗出発時より座席もだいぶ埋まっています。

新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が出ている状況でしたので、観光客は非常に少なかったですが、本来なら、ふだんは列車で訪れにくいニセコエリアや、函館と小樽という二大観光地を結ぶ役割も果たせていたでしょう。

小樽を出てラストスパート、車窓の夜景が明るくなるなか、手稲に19時10分着。手稲からは徐行運転で、19時29分の定刻に終点札幌に到着しました。

札幌駅特急ニセコ

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いつまで走るのか

筆者が今回、特急「ニセコ」に乗ってみたのは、東京から新幹線と山線特急を乗り継いで札幌まで旅してみたいという、たわいない理由からです。

加えて、特急「ニセコ」がいつまで運転されるか不透明、という状況も考慮しました。

筆者が「ニセコ」の先行きを不透明と感じる理由の一つは、車両の問題です。特急「ニセコ」の車両は、ニセコエクスプレスからキハ183系に変わり、今回はノースレインボーエクスプレスとなりました。これもキハ183系の一種で、前述したように竣工は1992年。来年で車齢30年を迎えます。

北海道の厳しい環境で、30年を超えた車両がいつまで走り続けられるかはわかりません。ノースレインボーエクスプレスが廃車になれば、車両繰りがつかないという理由で、特急「ニセコ」の運行が終了する可能性がないとはいえません。

仮に特急「ニセコ」が来年以降に運転されるとしても、ノースレインボーエクスプレスでの運転は今年限りとなる可能性もあります。来年には、「ラベンダー編成」や「はまなす編成」に置き換えられても不思議はありません。

特急ニセコ札幌駅

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山線の先行き

先行きが不透明なもう一つの理由が、路線存続の問題です。函館線の山線は北海道新幹線の並行在来線に指定されていて、新幹線開業後の扱いについて協議中です。最終結論は出ていないものの、長万部~余市間は2031年3月に廃止される可能性が高くなっています。

そこで心配になるのが、災害です。廃止の結論がいったん出てしまうと、たとえば集中豪雨で大きな被害が生じた場合、復旧をあきらめ2031年を待たずに廃止となる可能性も生じます。先の話とはいえ廃止が決定してしまうと、被災時に多額の費用を投じて復旧させる意味が薄れるので、自然災害が起こればそれまでとなる恐れがある、ということです。

記憶に残る旅

特急「ニセコ」の新函館北斗~札幌の所要時間は約5時間。特急「北斗」に比べると2時間近く余計に時間がかかりましたが、それだけに乗りごたえは十分で、山線の旅を堪能できました。バブル期の懐かしさを感じる車両で、昔ながらのローカル幹線を走る旅は、いつまでも記憶に残りそうです。

特急「ニセコ」は年に十数日しか走りませんので、道外居住の筆者が乗ることは、もう二度とないかもしれません。ノースレインボーエクスプレスも、おそらく今回が乗り納めでしょう。

少し寂しい気持ちを抑えつつ、向かいのホームに停まっていた「エアポート快速」新千歳空港行きに乗車して、帰京の途につきました。(鎌倉淳)

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