夜行急行「はまなす」の廃止が決定しました。座席車と寝台車を混結した昔ながらの客車急行が、2016年3月のダイヤ改正でついに姿を消します。「廃止」は既定路線で発表に驚きはありませんでしたが、筆者は正式発表の少し前に、一足先にお別れ乗車してきました。
2010年にはガラガラで
急行「はまなす」は、青森~札幌間を走る夜行列車です。1988年の青函トンネル開通ともに登場しました。運行開始当初は座席車のみの客車急行でしたが、1991年にB寝台車の連結を開始、1997年にカーペットカーも導入して、ほぼ現在の形になりました。
率直な話をすると、筆者は「はまなす」に強い思い入れがあるわけではありません。札幌在住でも青森在住でもない筆者は、「はまなす」を使う機会はそれほどなかったからです。
筆者だけでなく、夜行急行がたくさんあった時代には、「はまなす」は数ある急行列車の一つにすぎず、特に目立つ存在ではなかったと思います。「はまなす」に注目が集まったのは、2008年に寝台急行「銀河」が廃止された頃からではないでしょうか。
それでも、2010年冬に筆者が「はまなす」に乗ったときは、ガラガラでした。開放B寝台は8割方空いていて、無人のボックスが連なっていたのを覚えています。「はまなす」が遠からず廃止の運命にあることは、このときに理解しました。
最後の客車2段式B寝台車
2015年3月に寝台特急「北斗星」が定期運転を終了してからは、「はまなす」は日本で唯一の定期客車夜行列車となり、ニュースで取り上げられることも増えてきました。そのためか、2015年夏になると、寝台券が取りにくくなった、という話も耳に入るようになりました。
「北斗星」なき後、「はまなす」は日本で唯一の客車2段式B寝台を連結する列車となったので、最後に乗っておこう、という旅行者が増えたのでしょう。
廃止の正式発表の後はさらに寝台券が取りにくくなるので、筆者も早めにお別れ乗車をしておきます。「はまなす」に対してのお別れというより、開放式2段式B寝台に対してのお別れです。懐かしき「★★★」ですね。「はまなす」には数回しか乗っていませんが、「★★★」には何度乗ったことやら。
寝台券は完売
さて、札幌駅です。筆者がホームに上がると、「はまなす」はすでに入線していました。ホームは写真撮影をする人だらけです。
寝台車は14系と24系。筆者は1号車の14系でした。車内に入ると、ほぼ全ての寝台に人がうごめいています。車内放送では「本日の寝台券は全て売り切れ」とのこと。こんな混雑している寝台車に乗るのはいつ以来でしょうか。
寝台列車の全盛期を彷彿とするような賑やかさ、かといえばそうでもなく、車内は静か。二人連れ以上は少ないので会話はあまり聞かれず、札幌駅を離れると乗客はおのおの寝台に収まります。
鉄道ファンが多いわりには車内でカメラを振り回す人は少なく、カーテンを閉めて横になっている人が大部分。みなさん、ベッドで最後の寝台車をしみじみ感じておられるのでしょうか。
「2段式」は贅沢だった
寝台車は揺れます。14系だからか、床下のエンジン音もうるさいです。お世辞にも寝心地はいいとはいえません。それでも、3段式B寝台が主流だった昭和時代は「2段式」というだけで贅沢だったものです。
しかし、平成も27年に至ったいま、開放式の2段式B寝台を贅沢と思う人はいないでしょう。開放式寝台が姿を消すということは、昭和という時代が遠く離れていくことの、一つの象徴なのかもしれません。
深夜の函館駅で長時間停車。機関車はED79に付け替えられます。あまり話題になりませんが、1986年に津軽海峡線用に作られたこの機関車も、北海道新幹線開業とともに姿を消すとみられます。
「ゆうづる」から35年の時を経て
筆者が初めて客車2段式B寝台に乗ったのは、1980年頃の特急「ゆうづる」の24系で、上野~青森まで乗り通しました。それから35年。日本の客車2段式B寝台に乗るのはこれが最後です。最初に乗ったときに降りたのは青森駅。今回も降りるのは青森駅です。筆者にとって、2段式B寝台の旅は、始まりも終わりも青森駅で降りることとなりました。
「はまなす」は青森到着後、すぐに機関車が切り離されます。代わりに、ディーゼル機関車が反対方向に連結され、青森駅を離れていきました。昭和から平成を走り抜けた青い車体が、姿を消していきます。
これで、筆者の「客車2段式B寝台」の旅は終わりです。楽しい旅を何度もありがとうございました。そして、さようなら。
「鎌倉淳ブログ 夜行急行「はまなす」で人生最後の開放B寝台」に簡単なルポと写真を掲載しています。ご興味のある方はご覧ください。