富士山登山鉄道の素案が公表されました。富士スバルライン上に、LRTを敷設する構想で、総事業費を約1400億円と試算。往復1万円で年間300万人の利用を想定しています。詳細を見ていきましょう。
山梨県が検討
富士山登山鉄道は山梨県の長崎幸太郎知事が公約に掲げてきた構想で、富士山吉田口五合目へのアクセスを、現在の道路交通から登山鉄道に転換するものです。可能性を検討するため、2019年7月に「富士山登山鉄道構想検討会」を設置し、議論を重ねてきました。
その第5回理事会が12月2日に開催され、富士登山鉄道の素案が公表されました。内容を見ていきましょう。
なぜ登山鉄道なのか
大前提として、富士山登山鉄道はなぜ必要なのでしょうか。素案では、富士山五合目の来訪者数の増加を理由に挙げています。世界遺産登録前の2012年に比較して、2019年は2.2倍の506万人に達しています。
なかでも、7~8月の週末に来訪者が集中し、五合目や登山道では激しい混雑が発生しています。このため、五合目の収容力を踏まえた来訪者の平準化が求められるようになっています。
現在、吉田口五合目へのアクセスは富士スバルラインですが、マイカー規制の強化により2018年までの7年間で約11万台減少しています。一方で、大型バスなどは約9万台も増加しています。マイカーが減り、公共交通機関であるバスへの利用者の転移が進んだものの、来訪者そのものが増えたことにより、大型バスの走行も増加し、交通に起因する環境負荷は重くなっている、というわけです。
来訪者の増加により、五合目の施設規模が拡大しているという問題もあります。五合目には電気や上下水道といったライフラインがないため、屎尿処理の増加によるトイレの機能低下や、自家発電の増加による排気ガスの増加が懸念されています。ライフラインを整備して環境負荷を軽減し、衛生環境を向上させることは、喫緊の課題になっているといえます。
さらに、世界遺産登録時に、イコモスの評価書において、「意匠改善が必要」という指摘もありました。富士山にふさわしい、抜本的な景観改善が求められているという認識です。
こうした背景があり、自動車交通を抜本的に見直し、五合目のライフラインの整備を行うという考え方で浮上したのが、「富士山登山鉄道」構想です。
環境負荷が少なく輸送力のある鉄道を導入して来訪者増に備える一方で、全車指定席の定員制とし来訪者数をコントロールします。軌道整備と同時にライフラインも整備し、五合目まで電気や上下水道を引きます。鉄道はバスに比べて景観的に優れているので、「意匠改善」にも資する、というわけです。
導入ルート
富士山登山鉄道の導入ルートですが、富士スバルラインをそのまま活用するルートと、4合目~5合目の雪崩の起きやすい区間を回避する短絡ルートを候補としました。
導入システムの候補としては、スバルラインルートでは普通鉄道、ラックレール式鉄道、LRTを挙げ、短絡ルートではケーブルカーとロープウェイを挙げました。電気バスについては、「富士山の連続勾配に適⽤できない可能性がある」として除外されています。
候補となったシステムのうち、LRTについて、比較的氷雪に強く、緊急車両との併用が可能などとして優位性が高いとしました。緊急事態の際に、軌道上を救急車や消防車が走れるのが、普通鉄道やラックレール式鉄道にはないメリットです。一方、難点としては、下り勾配で速度制限を受けることなどを挙げています。
素案では、富士スバルライン上に複線軌道を敷設しLRTを走らせる構想とし、道路の拡幅などの改変は原則としておこないません。山麓を起点とし、五合目までの区間に路線を整備します。総延長は28.8kmと仮定しています。
駅はどうなる?
起点となる山麓駅は、東富士五湖道路の富士吉田料金所付近で、近くには山梨県立富士山世界遺産センターや、富士北麓駐車場があります。
山麓駅には駅施設や交通広場を設置。パーク・アンド・ライド駐車場や車両基地も整備する構想で、その場合、合計約16万~18万平米を要します。
富士急行河口湖駅から約2km離れていますが、市街地などへの延伸については、将来的な検討課題としました。
五合目駅は、富士スバルライン終点に設けます。半地下式を想定し、店舗など含めた五合目全体の空間再編をあわせて検討します。五合目以降の延伸はしません。
このほか、中間駅も設置します。既存の駐車場空間の活用を前提に検討し、展望景観に優れる場所、既存遊歩道等との結節点が候補となります。4駅を想定しています。
起点の標高は1,088m(料金所)で、五合目は2,305mです。標高差1,217mを駆け抜ける鉄道路線となります。実現すれば、五合目は日本最高所の鉄道駅となります。
蓄電池車両で架線レスに
スバルラインの車道幅員は約6.5mで、最急曲線でも幅員内にLRT軌道を複線で設置することは可能です。
道路にはあらかじめレール溝を刻んで成形したコンクリートブロックを埋設し、ライフライン用管路を併設します。
スバルラインの最小曲線半径は30m、最急勾配は8%です。これに対応する車両として、10m×3車体で1編成とし、最大2編成を連結します。つまり最長6連のLRTが走ることになります。1編成(3両)の車両長は30mで、最長60mの列車となります。
車両は蓄電池車両の使用を想定し、架線レスとします。バッテリーなどの機器を搭載しやすいように、軌間は1435ミリです。1編成の定員は120人で、着席利用を基本とする定員制とします。合計で24編成を用意します。
最高速度は40km/hですが、下りは25km/hに制限します。急曲線部では上下とも10km/hです。このため所要時間は上り52分、下り74分と差が付き、五合目から山麓へ下るほうが時間がかかります。
列車は乗ること自体を楽しめるデザインやサービスとします。たとえば、車内での飲食の提供や、モニターでのガイダンスの提供などを検討します。
運賃と事業費
運賃は往復1万円~2万円と想定。この金額は、立山黒部アルペンルートや、海外の登山鉄道の事例を参考にしたものです。
年間鉄道利用者数は、1万円なら310万人、2万円なら120万人で、100万人~300万人と見積もっています。ただし、この見積もりは仮定に基づく参考値で、「今後の検討過程において精査が必要」としています。
概算事業費は全体で1200億円~1400億円程度と試算。内訳は軌道、駅、車両基地などに560億円、電力・通信設備などに500億円、車両に170億円、ライフライン整備費に100億円などとなっています。
収支予測
収支予測に関しては、運賃往復1万円で、年間300万人が利用し、総事業費が1400億円と仮定した場合、単年度損益は開業初年度から黒字。累積損益も開業2年度で黒字となります。資金収支は開業初年度から黒字となります。
単年度・累積損益が開業初年度から黒字であれば、優良な事業と判断できます。このため、民設民営でも採算性が見込める可能性が高いと評価しました。
事業スキームは上下一体、上下分離の双方を検討。国土交通省の支援スキームは都市型LRTを想定しているため、支援を受けるには十分な事前協議が必要とし、現時点では補助金をあてにしているわけではないようです。
課題は?
技術的な課題としては、架線レスの蓄電池車両を山岳路線に走らせることができるのか、というのが最大のポイントになりそうです。
素案では、架線レスシステムの導入可能性の検証が重要としたうえで、連続勾配における登坂力やブレーキ性能、急勾配区間における起動性能の検証が必要などと記載しています。さらに、急曲線における安全性や快適性を確保する条件なども検討します。
安全面の課題としては、スラッシュ雪崩対策の検討や、積雪・凍結対策などの検討も必要としています。
富士山は世界遺産であることから、適切な需要コントロールの必要性にも言及。五合目のキャパシティを考慮した運行計画や、変動運賃制による需要の平準化なども課題に挙げました。
中間駅の発着とする自然散策やトレッキングコース・プランの普及や、五合目以下のトレッキングツアーの拡大も試みます。冬季利用のルールも検討し、スキー・スノボなど現在想定されていないレジャー利用の対処方法も考えます。
疑問の声も
以上が素案の概要です。これを基に議論した検討委員会の理事会では、事業スキームや事業費に関して、疑問を投げかける声がありました。
「収支予測が荒い。維持管理費が相当かかるはず。それを入れずにこの事業スキームはOKとの判断は短絡的すぎる」「鉄道はイニシャルだけではなくてランニングコストも非常にかかるため、冬の対策などメンテナンスコストをどのように算定していくかなど、留意が必要」といった、メンテナンスコストを軽視している旨の指摘が相次ぎました。
さらに、「事業採算性は、まだまだ不確定な要素が多い印象」といった声や「LRT に対する国の支援スキームがあるにも関わらず、支援を全く受けずに成立できるという結論は極めておかしい」という批判もありました。
また、「普通の鉄道より輸送力が限定されるLRTで、300万人の需要をどうコントロールするのか」「今ある富士山に、いかに付加価値をつけてお金を払ってもらえるかも考えないといけない。しっかりと計画の中に入れて欲しい」といった注文もありました。
技術的な課題に関しては「山岳部における架線レスでのLRTは、国内では事例のないもの。技術面での課題、特に安全は譲れない条件であり、具体的な掘り下げが必要」という声がありました。これについては、県側も今後もさらに検討が必要と認めています。
また、富士登山鉄道は、五合目の観光地化を促進します。委員の間からは「鉄道構想は五合目再開発のきっかけになる」「今回の議論を契機に、五合目の売店や山小屋も含め、富士山をどのように世界に誇れるものにしていくのか議論すべき」といった、五合目のあり方を見直すよう促す声もありました。
これに関しては、県側は、五合目の最大の問題は電気が通っていないことと回答。「鉄道を契機に電気を通すことで、トイレや自家発電などの問題の解消や、観測機器への電源供給など、様々な点で五合目の環境の改善の基礎を提供できる」としています。
今後は、こうした意見を踏まえて必要な修正をおこなった上で、2021年2月上旬に検討会の総会を開催し、最終的な構想のとりまとめを協議する方向です。
確立されていない技術
最後に筆者の感想を述べておくと、今回公表されたのは文字通り「素案」で、富士山に登山鉄道を通そうと真剣に検討したら、このような形になるのだな、という程度の内容に思えます。
何よりも気になるのが、架線レスの蓄電池LRTが標高差1200mの連続勾配を上り下りできるのか、という点です。
システム選定の項目では、電気バスを「連続勾配に適⽤できない可能性がある」として一蹴していますが、蓄電池LRTも最大80パーミルの急勾配を含む連続勾配に適用できない可能性はあるでしょう。
素案では、「架線レスについては技術開発が現在進められている分野であることから、最新の開発動向も合わせて検討の必要」とあります。まだ技術が確立されていないことを認めているわけです。確立されていない技術を前提にしたプロジェクトであるという点に留意しないわけにはいきません。
利用者視点に乏しく
また、利用者視点でいえば、自動車が入れなくなるなら、鉄道運行時間帯以外の登山がしにくくなります。たとえば未明に到着して登り始める、といったことができなくなるでしょう。
さらに、都内や河口湖駅からのバスを利用した場合、山麓駅で登山電車に乗り換えなければ五合目まで行けなくなるわけで、アクセスが悪くなります。鉄道利用の場合は、河口湖駅、山麓駅と2度の乗り換えが必要になります。
運賃面についても、往復1~2万円は、スイスのユングフラウ鉄道のように山頂付近まで行けるなら高いとはいえませんが、中腹までの、所要時間1時間程度の路線としてはどうなのだろう、という気がします。
素案を見ていて気になったのは、行政や観光業者の視点ばかりで、利用者の視点が欠けているのではないか、という点です。
率直にいって、富士登山をする人にとっては、値段が上がって不便になるだけで、ほとんどメリットがなさそうです。「高くて不便」な鉄道に、数百万人の観光客が殺到するという前提が、そもそも危うい気もします。登山者の相当数が須走口や富士宮口に流れる可能性もあるでしょう。
富士山に登山鉄道ができることは、ロマンがあって素晴らしいと思います。それ自体が観光資源になり、通年観光に資するという狙いもわかります。
ただ、それは事業者側の視点にすぎません。富士山は事業者のものではありませんし、交通機関の利用者たる登山者や旅行者が、不便な鉄道を富士山に求めているのかにも、気を配って欲しいところです。(鎌倉淳)