計画中の小笠原空港で「垂直離着陸機」の導入が検討されています。建設予定の空港の滑走路を短くできるメリットがありますが、定員はわずか9人で、観光客利用には適しません。小笠原諸島の空港計画はどこへ向かっているのでしょうか。
兄島に1,800m滑走路案
小笠原諸島の近年の空港計画は1991年にさかのぼります。国の「第6次空港整備五箇年計画」に予定事業として採択されました。
1995年には空港の位置を兄島に決定。1,800m滑走路を備える空港を建設し、ボーイング737クラスの中型ジェット機を就航させるという大がかりな計画でした。兄島と父島の間にロープウェーを建設し、空港アクセスとする構想まで披露されています。
しかし、小笠原諸島に残された貴重な自然環境を破壊するという意見が続出し、1995年に兄島案は撤回に追い込まれます。
つづいて1998年に父島南部の時雨山が、新たな空港予定地として決定しました。しかし、時雨山周辺は父島の水源であり、ここでも自然環境への影響が懸念され、事業費も高額が見込まれたことから、2001年に撤回となりました。
幻のTSL計画
時雨山案の撤回後、テクノスーパーライナー(TSL)という超高速船の導入が計画されました。速力約40ノットで東京~父島間を16時間半で結ぶという計画で、新造船が発注され、2004年には進水式まで行われました。
しかし、船の建造中に原油が高騰し、TSLによる父島往復1回で2500万円近くの燃油費がかかることが判明。年間の赤字額が30億円を超えると想定されたため、就航直前の2005年に東京都が支援を断念し、運航は実現しませんでした。
ちなみに、115億円の建造費をかけたTSLはほとんど活用されることなく2017年に解体されています。
小笠原航空路協議会
TSL断念を受け、小笠原空港の建設構想が再燃します。2006年に、都は小笠原諸島振興開発計画に「航空路について将来の開設を目指し検討」と明記。アンケートで小笠原村民の7割強が航空路を必要と意思表示したこともあり、2008年に都と村で「小笠原航空路協議会」を設置、再び空港建設の検討が再開されます。
この時点で、小笠原諸島の空港計画は、硫黄島活用案、水上航空機案、洲崎地区活用案、聟島案の4案がありました。2009年の第4回小笠原航空路協議会で聟島案を除外。しかし、さらなる検討は行われず、小笠原航空路協議会は2010年の第5回を最後に開かれなくなり、空港計画は停滞します。
州崎案を優先
それが再浮上したのは2016年でした。小池百合子知事が就任し、父島を訪問。2018年の小笠原返還50周年を前に、空港建設に前向きな姿勢を見せます。
2017年には第6回航空路協議会が7年ぶりに開かれ、硫黄島活用案、水上航空機案、洲崎地区活用案のうち、州崎案を優先的に検討することを決定。滑走路長は50人乗りのプロペラ機(ターボプロップ機)が離発着できる1,200m程度とする方向になりました。
しかし、1,200m滑走路を州崎地区に建設する場合、中山峠の切土や海域への突出が多大になることから短縮を検討。2018年の第7回小笠原航空路協議会では、滑走路を1,000mに短縮する案が公表されました。
1,000m以下の滑走路で離着陸できる機材は限られていて、東京都はフランスの航空機メーカーATRが開発中のATR42-600S型機を候補にあげました。
ATR42-600S型機は、座席数48席のターボプロップ機ATR42-600型機の短距離離着陸(STOL)性能向上型です。2017年に発表された新機種で、800m滑走路での離着陸が可能な性能を備え、2022年の初号機納入を目指しています。
短い滑走路で離着陸できる最新機種を前提に、自然改変の影響を最小限に抑えようという空港計画になりました。
垂直離着陸機も浮上
ただ、これで最終決定というわけではなく、2018年度の協議会資料では「さらに短い滑走路を設定する場合、改変の影響は相当程度軽減する」「さらに滑走路長を短縮できる可能性がある機材についても調査を進めていく」とも記されていて、もっと滑走路を短くできる機材の調査も継続されました。
その結果、2020年7月の第9回小笠原航空路協議会で、垂直離発着が可能なAW609型機の導入を検討することが明らかになりました。
AW609型機は、イタリアの航空機メーカー・レオナルド社が開発している新機種で、就航すれば世界初の民間型ティルトローター機となります。
ティルトローター機というのは、外見はプロペラ機に似ていますが、ローターの角度を変えることでヘリコプターのように垂直に上昇できます。上昇後はローター軸を前方に向けて普通のターボプロップ機として飛行、垂直着陸も可能です。
つまり、垂直離着陸性能と固定翼飛行機のスピード、飛行高度を兼ね備えた航空機です。垂直離着陸が可能な場合はヘリポートで、滑走しての離着陸であっても、400m程度の長さの滑走路があれば離着陸が可能です。
現在は開発中で、メーカーにより、米国の型式認証取得に向けて準備を進めている状況です。
定員が少なすぎるけれど
ATR42-600S型機は最大48席で、航続距離1537km、巡航速度556km/h。AW609型機は最大9席で航続距離1240km、巡航速度509km/hです。
両者の航続距離や巡航速度に大きな違いはありませんが、定員には大差があります。ATR42-600S型機は48席を備え、小笠原への航空需要に対応できそうです。これに対し、AW609型機の9席は少なすぎて、小笠原への旅行者を運びきることはできません。
しかし、AW609型機の垂直離着陸性能があればヘリポートでも離発着が可能で、空港整備のハードルが大幅に下がります。「とにかく航空路が早く欲しい」というのなら、AW609型機は有力な選択肢になるでしょう。
20年も待てない
小笠原空港の建設目的で大きなウェイトを占めるのが急患など緊急時の搬送で、次いで島民の用務での本土訪問でしょうか。そうした目的だけならAW609型機でも果たせます。となると、まずは短い滑走路または大型ヘリポートを整備してAW609型機を導入したうえで、将来的に滑走路の延長を目指す、という方向性もあるでしょう。
1,000mの滑走路を整備するには、山を切り崩し、海に滑走路を延ばす大工事が必要で、20年以上の工期が必要とも報じられています。そんなに待てないので、まずは垂直離着陸機を導入するというのは、一つの考え方かもしれません。
しかし、定員9人の飛行機で定期航路を開設しても、一般的な航空運賃で採算を取るのは難しいことが予想されます。運賃を抑えて赤字を東京都が補助するというスキームが考えられますが、燃料費の上昇で計画が破綻したTSLのトラウマが関係者の頭をよぎることでしょう。補助金なしで成り立たない事業は、継続性において疑義があります。
運用可能性を検討
東京都がAW609型機を候補に挙げたのは、2018年の会議で「さらに滑走路長を短縮できる可能性がある機材についても調査を進めていく」とした以上、可能性のある機材を例示しただけなのかもしれません。言葉を換えれば、「調査をしたが、定員9人では意味がない」という結論になる可能性もあるでしょう。
小笠原空港の調査は2020年度も引き続き行われていて、航空機に関しては小笠原への運用可能性に関する詳細検討を実施します。つまり、候補2機種でどのような運用が可能かを、具体的に検討するようです。さらに、空港の構造や工法をさらに検討する一方、環境調査も継続します。
航空機開発の動向を睨みながら、環境負荷の低い形での空港建設をどう実現するか。小笠原空港建設の結論が出るには、もう少し時間がかかりそうです。(鎌倉淳)