三軒茶屋で新しいまちづくり基本方針が策定されました。「三茶Crossing」と名付けられた将来ビジョンで、三軒茶屋はどう変わるのでしょうか。
「三角地帯」で再開発準備中
三軒茶屋は、東京・世田谷区の東の玄関口にあたる地域です。東急田園都市線で渋谷から約5分、「住みたい街」としても人気が高いことで知られています。駅周辺では1981年に策定された「三軒茶屋地区市街地再開発基本構想」に基づき、断続的に再開発が進められてきました。
「再開発基本構想」では、三軒茶屋駅周辺の再開発を5つの工区に分けており、第1工区(現・西友)が1985年に、第5工区(サンタワー)が1992年に、第2工区(キャロットタワー)が1996年に完成しています。21世紀に入ってからは大きな動きがなく、現在はいわゆる「三角地帯」と呼ばれる第4工区の再開発事業の準備が進められています。
進化し続ける交流のまち
第4工区の都市計画決定を前に、世田谷区では、「三軒茶屋駅周辺まちづくり基本方針」(以下、基本方針)を2019年3月に策定しました。基本方針では、駅周辺のまちのビジョン(将来像)を〈進化し続ける交流のまち「三茶Crossing」〉と命名。これをキーワードに、都市整備を進めていく方針を示しました。
「三茶Crossing」の命名理由については、街道の交差点にあった三軒の茶屋に始まるまちの歴史や「人と人が交流する」「道路や鉄道が交差する」「地上のまちと地下鉄が交差する」「様々な機能を掛けあわせる」などの意味を込めたキーワードとして提案された、ということです。
では、「三茶Crossing」で、三軒茶屋の街はどう変わるのでしょうか。策定された基本方針から読み解いて行きましょう。
3つの課題
基本方針では、三軒茶屋の都市基盤について、次の3点を大きな課題として挙げています。「公共的な空間や動線の不足」「老朽建築物の存在」「商業地域と住居地域の調和が難しい」の3つです。
最も問題として大きいのが、「公共的な空間や動線の不足」です。
三軒茶屋駅は、田園都市線だけで1日13万9000人が利用します。田園都市線では渋谷駅、溝の口駅に次いで第3位の乗降客数です。
これだけの利用者が毎日駅に集まってくるというのに、周辺には駅前ロータリーもなく、歩行者の通行や滞留のための十分な空間もありません。
玉川通りや世田谷通りなど幹線道路の歩道幅は狭く、3m未満の場所もあります。バス停は散在しており、歩道の狭さもあってバス待ちの混雑が発生しやすくなっています。
回遊性の悪さも課題です。三軒茶屋駅周辺は、玉川通りと世田谷通りによって南北が分断されていて、人々の回遊を阻害しています。また、地下にある田園都市線三軒茶屋駅と地上をつなぐエレベーターやエスカレーターが少なく、バリアフリー動線も十分に確保されていません。
安全面にも課題
老朽建造物については、三軒茶屋エリアの都市基盤が1970年代に整えられたことに関連します。首都高速3号が1971年開通、東急田園都市線三軒茶屋駅は1977年開業です。これらの基礎インフラは、遠くない将来、大規模な改修や更新が必要となる可能性があります。
三軒茶屋駅周辺は、田園都市線開業前後に急ピッチで開発されたため、既存建築物に老朽化したものが目立ち始めました。3分の1以上は旧耐震基準(1981年以前)で、築20年以上の建築物が全体の約8割を占めています。周辺には木造住宅も多く、防災面で課題があります。
そして、三軒茶屋駅周辺は、同規模程度の街に比べて商業地域の範囲が小さく、後背地にすぐ住居地域が広がっています。バッファゾーン(緩衝地帯)が不足していることから、互いの調和をとった土地利用が困難です。
基本方針では、こうした課題をまとめて、「空間・動線や安全面で課題の多い都市基盤」と表現しています。
4つのゾーン
これらの課題を解決するために、基本方針では、駅周辺を、機能別に4つのゾーンに分けて整備をする方針を示しました。
中核となるのが「Crossingゾーン」。三軒茶屋交差点付近の繁華街で、交通結節点の形成や空間の創出など、都市基盤の整備を進めるエリアです。
国道246号線沿いが、「玉川通り沿道ゾーン」です。幹線道路沿いの立地を生かし、新たな魅力を育て機能を高めます。世田谷通りや茶沢通り、栄通りといった商店街の沿道は「魅力共存ゾーン」と名付けられ、商店街と連携した個性豊かなまちづくりを目指します。
外縁部が「住宅地と商業地のバッファゾーン」で、住宅環境に配慮しつつ、まちづくり方策を展開していくエリアとされました。
全体のまちづくりの範囲については、三軒茶屋駅を中心とした半径300mとしています。
基盤整備イメージ
基本方針では、まちに新しい魅力を創出する方策として、以下のような基盤整備イメージを示しています。
まず、地域の交通の要衝としてスムーズな移動や乗り換えを実現するために、駅から次の交通手段までバリアフリー動線で接続された歩行者空間を創出します。
さらに、多様な使い方のできるパブリックスペースを設けます。地下空間も活用し、田園都市線三軒茶屋駅を起点とした歩行者広場や、建築物と接続する地下通路などの整備を誘導します。
地上では、歩行者空間の充実もはかります。歩行者の南北移動を円滑化するため、玉川通りを横断する動線を複数確保し、三軒茶屋エリアの南北の断絶を解消します。
南北移動円滑化
実際にどのようなまちづくりがなされるのかは、まだ判然としません。ただ、基本方針に示された「基盤整備イメージ」(下図)を見ると、方向性がわかります。
このイメージ図では、「歩行者の南北移動円滑化」として、二つの動線が描かれています。
一つは三角地帯を横断し玉川通りと世田谷通りを結ぶ動線です。これは「都市計画道路放射4号支線1号」と呼ばれ、玉川通りと栄通りとの交差点付近からキャロットタワー前のバス停付近までの道路です。
もう一つは三軒茶屋駅の東側、首都高速三軒茶屋出口付近で玉川通りを南北に渡る動線です。ここで歩行者が玉川通りを渡れるようにするには、歩道橋か地下道を作るほかなさそうですが、詳細は不明です。
駅南側も再開発へ?
また、「基盤整備イメージ」には、「将来のパブリックスペース」とされる範囲が水色で描かれています。再開発予定地区の第3工区、第4工区といった、これから再開発が予定されているエリアには、広場などが設けられることを示唆しています。
注目点として、水色エリアは茶沢通り東側や玉川通り南側を含んでいます。これらの区域は、これまで市街地再開発の工区外でした。
2019年11月29日に開かれた住民への説明会では、区側が「国道246号線の南側などを含む新たなエリアを追加し、今後具体的なまちづくりを検討していく」と発言しています。つまり、三軒茶屋駅南側も、これから再開発の対象に組み込まれる可能性が高そうです。
三角地帯はどうなる?
昭和時代の面影を残す街並みとして知られる三角地帯については、第4工区として再開発される計画になっています。現在分かっていることとしては、前出した「都市計画道路放射4号支線1号」が整備され、その東西に高層ビルが計2棟建てられる構想があることです。ビルには商業施設や共同住宅が整備される見通しです。
「基盤整備イメージ」を見ると、東側(ビッグエコーがある区域など)が水色の「パブリックスペース」に含まれています。そのため、三角地帯の突端付近に、バリアフリーに配慮した公共空間が作られる可能性もありそうです。基本方針に記されている「田園都市線三軒茶屋駅を起点とした歩行者広場」が作られるのかもしれません。
地下空間の活用
また、「基盤整備イメージ」の断面図をみると、地下駅から地下道を延ばし、近隣のビルに直結するエスカレーターに接続する様子が描かれています。これはあくまで「イメージ」なので、そのまま実現するわけではなさそうですが、三軒茶屋駅周辺の地下道を拡大し、再開発ビルへ接続することが検討されそうです。
基本方針には、「鉄道事業者との連携により、地下空間の活用を図る」との記述があり、「駅直近の建物と駅への動線が連続的につながる空間を創出する」としています。三軒茶屋駅では駅構内と直結するビルはキャロットタワーのほかにありませんが、今後新築されるビルでは、地下駅に直結するルートが整備されるかもしれません。
用途地域の変更も
このほか、基本方針では、「高齢化や狭い路地の多いまちの構造に対応した近距離移動手段の充実を図る」とも記されています。コミュニティバスの導入なども検討されるのでしょうか。
また、「駅直近に機能の集約と用途の複合化」を図り、「用途地域の見直しや地区計画の策定も含め、空間ニーズの変化に対応した土地利用を実現していく」としています。駅周辺で用途地域や容積率の変更なども検討されそうで、不動産関係者は目が離せないでしょう。
20年の計画期間
ここまで、おもにハード面について記してきました。ソフト面に関しては、三茶らしい賑わいの継承を目指すとしており、文化施設の充実や周辺大学との連携、コミュニティの維持、グローバル化の推進などが掲げられています。職住近接を推進し、起業しやすい環境を充実させるともしており、オフィスの整備や企業の誘致も進められそうです。
要するに、田園都市線三軒茶屋駅を中心として、回遊性の高いインフラを整え、地域の賑わいを大切にしながら、企業や大学と連携してまちづくりを目指すということです。それこそが「三茶Crossing」なのでしょう。
「基本方針」の計画期間は20年。つまり、「三茶Crossing」は20年後を見据えた長期方針です。具体的な計画に落とし込んで整備を進めるとなると、20年では済まないに違いありません。
間違いなさそうなのは、これから長い時間をかけて、三軒茶屋周辺が大きく姿を変えていく、ということです。(鎌倉淳)