「高輪築堤」はどこまで保存できるか。日本最古の鉄道遺産を後世に伝えよう!

超一級の価値

日本初の鉄道の遺構である「高輪築堤」が、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場で発見されました。JR東日本は保存の意向を示していますが、どこまで保存できるかが気がかりです。

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日本初の鉄道

日本初の鉄道は、1872年(明治5年)に開業した新橋~横浜間の約29km。このうち薩摩藩邸があった高輪付近に関しては、西郷隆盛らの反対で兵部省が用地の提供を拒んだため、鉄道を推進していた大隈重信が海上に建設することを指示。田町~品川間2.7kmの沖合に幅6.4mの堤防を築き、その上に線路を通しました。

これが高輪築堤で、歌川広重(三代)筆による浮世絵「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」には、その風景が鮮やかに描かれています。国家初の鉄道が海の上を走っていた、というのは、世界的に見ても特筆すべきことでしょう。

東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図
東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図。画像:東京都立博物館

線路の下に眠っていた

高輪築堤は、明治から昭和にかけて周辺が埋め立てられたこともあり、その位置がはっきりとわからなくなっていました。ところが、その遺構が、見つかっていたのです。JR東日本は、2020年12月2日に、同社が進めている高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発「品川開発プロジェクト」エリア内において、高輪築堤の一部とみられる構造物が出土したことを発表しました。

JR東日本によると、2019年4月、品川駅改良工事において石積みの一部を発見。2019年11月に実施した山手線および京浜東北線の線路切換工事以降、レールなどの撤去を行ったところ、2020年7月に、高輪築堤の一部とみられる構造物を発見しました。

つまり、国鉄から引き継がれた田町の車両基地付近の山手線・京浜東北線の線路下に、高輪築堤は眠っていたことになります。

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超一級の鉄道遺産

高輪築堤の構造物は、田町~品川駅間の国道15号線に近い位置に、広い範囲で見つかっています。国道15号線付近が明治時代の浜辺と推察され、その沖合に作られたことがわかります。

高輪築堤
高輪築堤位置図 画像:JR東日本プレスリリース

公表された写真を見ると、築堤を支える石垣や、橋梁の橋台がはっきりと残されていて、その保存状態の高さには驚かされます。鉄道草創期の土木技術を伝える、超一級の鉄道遺産と言っていいでしょう。

高輪築堤
写真1 画像:JR東日本プレスリリース

高輪築堤
写真2 画像:JR東日本プレスリリース

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一部保存を検討

そこで気になるのが、これをどう保存するのか、あるいは破壊してしまうのか、という点です。

都市の再開発時に歴史的な遺跡・遺構が見つかるのはよくある話で、その際は発掘調査の後、埋め戻して破壊されるケースが多いです。残念なことですが、大都市の真ん中で遺跡が出るたびに保存していたらキリがありませんし、未来の都市開発に差し障りが出てしまうのでやむを得ない面はあります。

ただ、今回は日本の鉄道初の土木建造物ですし、築堤の一部には江戸城の石垣まで使われていて、歴史的価値は非常に高いです。保存されれば土木学会選奨土木遺産に認定される可能性もあるでしょう。JR東日本も当然その価値は認識していて、「築堤の一部現地保存および移築保存を通じた公開展示などを検討」するとしています。

全部は無理としても、一部は現地保存し、一部を移築保存することを表明したわけです。

道路用地か

ただ、どこまで保存できるのかは、はっきりしません。

品川駅北周辺地区の都市計画図を見ると、築堤が見つかった付近は、主に3~4街区の外縁部分です。写真1は街区公園付近と思われますが、写真2の橋台は区画道路2号にあたる場所のようです。つまり、道路用地とみられます。

品川駅北周辺地区都市計画
画像:都市再生特別地区(品川駅北周辺地区)都市計画(素案)の概要

高輪築堤
高輪築堤位置拡大図 画像:JR東日本プレスリリース

仮に道路用地なら、橋台を保存するために道路の位置を変える必要があります。とはいえ、3街区のすぐ北側には地上31階建ての高層ビルが建つ予定ですから、そこに影響を及ぼすわけにはいきません。

となると、移築保存になるのはやむを得ません。その場合、移築先は鉄道博物館などが検討されるでしょう。ただ、築堤や橋台のような土木建造物は、造られた場所に建造当時のままで保存されていることに大きな価値があるので、移築するのはもったいない気もします。

とにもかくにも、日本最古の鉄道遺産です。19世紀の海上鉄道築堤となれば、世界的にも貴重な存在でしょう。国鉄の系譜を引くJR東日本にとってみれば、同社の鉄道事業のルーツでもあるわけで、鉄道事業者としての威信をかけて、後世に伝えてくれることを期待しましょう。(鎌倉淳)

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