特急「ひたち13号」仙台行きに乗ってみた。常磐線復旧の旅は胸が熱くなる

9年ぶり運転再開をたしかめに

特急「ひたち」の仙台乗り入れが、2020年3月に復活しました。仙台への所用があり、品川~仙台間を「ひたち13号」で乗り通してみました。

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国内屈指の昼行特急

2020年3月に常磐線が全線復旧し、特急「ひたち」の仙台駅乗り入れが復活しました。東京都内と仙台を結ぶ特急「ひたち」は1日3往復が設定され、下りは午前発の「3号」が上野発、午後発の「13号」「19号」が品川発です。

品川~仙台間の距離は373.9km。在来線昼行特急としては国内5位となります。全国屈指の長距離特急が復活を遂げたわけです。

ひたちE657系

E657系グリーン車

「ひたち13号」の品川~仙台間の所要時間は4時間41分。長い時間なので、グリーン車を奮発してみました。

E657系グリーン車は残念ながら横4列ですが、シートの座面は深く座りやすいです。185系グリーン車と違い、肘掛けも付いていますので、隣に人が来なければとても快適です。

ただ、E657系は普通席でも十分快適なので、東京~仙台間で4,190円のグリーン料金が価値に見合うかは、判断が分かれるでしょう。

ひたちE657系グリーン車

表定速度106km/hで快走

さて、「ひたち13号」は、品川駅9番ホームを定刻12時45分に発車。上野東京ラインを駆け抜けて、最高速度130km/hで常磐線を快走します。上野~水戸間はノンストップで表定速度は106.8km/h。在来線の表定速度としては驚異的で、じつに気持ちのいい走りっぷりです。

水戸から先は停車駅が増えて、快足ぶりはやや影を潜めますが、右窓に太平洋が開け、旅気分が高まります。ときおり現れる、まだ新しい防潮堤が目に付きます。

15時13分いわき着。ここから先が、2020年3月ダイヤ改正で、特急「ひたち」が運転を再開した区間です。

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2011年から順次復旧

2011年の東日本大震災で、常磐線は長期不通になりました。ただ、いわき~広野間、原ノ町~相馬間、亘理~岩沼間は2011年のうちに順次復旧しています。復旧に時間がかかったのは、広野~原ノ町間と、相馬~亘理間でした。

広野~竜田間の復旧時期を、区間別に見てみましょう。

・広野~竜田:2014年6月
・竜田~富岡:2017年10月
・富岡~浪江:2020年3月
・浪江~小高:2017年4月
・小高~原ノ町:2016年7月
・原ノ町~相馬:2011年12月
・相馬~浜吉田:2016年12月
・浜吉田~亘理:2013年3月

ごくおおざっぱにいうと、地震による直接的な被害だけの区間は比較的早く復旧し、福島第一原発に近い区間と、線路を内陸に移設した区間の復旧が遅くなっています。

下記は、2016年3月にJR東日本が公表した、竜田~浪江間の工事概要図です。

常磐線復旧工事概要
JR東日本プレスリリース。避難区域などは2016年3月現在

除染の方法についても記されています。

常磐線除染
画像:JR東日本プレスリリース

東日本大震災が、地震による揺れ、津波、原発事故と3重の被害をもたらしたことが、復旧工事の概要を見るだけで改めてわかります。それを乗り越えて、9年の月日をかけ、ようやく常磐線全線が復旧したのです。

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広野駅

いわきを出発した「ひたち13号」の次の停車駅は広野で、15時33分着。広野までは2011年10月に復旧し、普通列車が運転されてきました。

広野駅の駅前一帯は区画整理され立派なビルが建っていることが、車窓からうかがえます。写真正面が2018年にオープンしたビジネスホテル「ハタゴイン福島広野」、左が2016年に竣功した「広野みらいオフィス」です。

常磐線広野駅

半径20km圏へ

広野から先が2014年以降の復旧区間です。福島第一原発から半径20km圏内に位置するため警戒地域に指定され、一時期立ち入り禁止になっていました。

下図は、JR東日本が2012年7月のプレスリリースで使用した地図です。震災後1年余を経て、桃内~磐城太田間の被災状況を調べたときのものです。当時は、警戒区域内での被災状況の点検すら十分にできていませんでした。

2012年常磐線状況
jr東日本プレスリリース(2012年7月18日)

福島第一原発事故後、政府は避難指示区域として、放射線量の高い順に「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」を設定しました。帰宅困難区域は縮小されましたが、いまなお残されています。下図は、2020年3月の避難指示区域の概念図です。

避難区域の変遷
画像:福島県

広野駅を出ると、緑色斜線の「避難指示が解除された区域」に入ります。その先、常磐線は朱色の「帰宅困難区域」を縦走しますが、鉄道路線周辺は2020年3月までに避難指示が解除されました。

福島第一原発をかすめて

広野駅を出発し、2020年3月に常設駅に昇格したばかりのJヴィレッジ駅を軽やかに通過。竜田駅を過ぎると、富岡駅までが2017年の復旧区間です。

にわかに雨が降ってきて、15時47分富岡着。駅の裏側に建物はなく、復興は緒に就いたばかりという印象です。

常磐線富岡駅

この先、富岡~浪江間が、2020年3月14日に運転再開した区間です。車窓の緑が深くなり、農地とおぼしき土地にも草木が生い茂っています。このあたりは一部を除き避難指示が解除されておらず、生い茂る木々の合間に、埋もれそうになっている家屋が見られます。

常磐線富岡付近

大野15時55分着。改修された橋上駅がまぶしく感じられます。駅周辺は、2020年3月5日に避難指示が解除されたばかりです。

常磐線大野駅

大野駅を発車すると、列車は福島第一原発近くを通ります。しかし、その姿は全く見えません。高圧線が伸びていく姿を仰ぎ見るだけです。

常磐線福島第一原発付近

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警戒地域を抜けて

浪江駅16時04分着。ここで2020年復旧区間は終わりです。ちなみに、常磐線の全線復旧とともに東京近郊区間が拡大されましたが、ここ浪江が北限です。上野駅を出て3時間以上かかる距離で、「東京近郊」というには、かなり遠いですが。

常磐線浪江駅

浪江駅を出ると、2017年に復旧した区間に入ります。土地に人の手が入っている気配が感じられますが、放置されたような土地も目立ち、気になります。

常磐線浪江付近

南相馬市の磐城太田駅に至ると警戒地域に指定されていた20km圏を抜けます。

ポイントを何本か渡り、広い駅構内に入ると原ノ町です。16時21分着。ここでまとまった乗車があり、仙台圏に入ったことが感じられます。制度的にも、原ノ町の手前の小高から仙台近郊区間に入っています。

常磐線原ノ町駅

線路移設の高架を走り抜け

原ノ町から相馬までは2011年に復旧しました。つづく相馬から、線路を内陸に移設して、2016年に復旧した区間となります。

下図は工事を担当した鹿島建設による概要図です。海沿いを避けて新線を敷設し、駅は最大1.1km内陸寄りに移設しました。

常磐線線路移設工事
画像:鹿島建設

移設区間に入ったばかりの新地駅で、上り「ひたち26号」と交換します。

新地駅ひたち交換

旧線がほぼ平地を走るルートだったのに対して、移設後の新線は約4割を高架橋が占めています。

瑞々しい田んぼを眼下に、「ひたち13号」は颯爽と高架の上を駆け抜けていきます。水の張られた田んぼの美しさを、改めて感じます。

常磐線線路移設区間

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仙台へのラストスパート

最後の停車駅、亘理を出ると仙台まで50分ノンストップです。このエリアで特急「ひたち」は、相双地方と仙台を結ぶ速達サービスの役割を担います。

阿武隈川を渡ると、ラストスパート。

常磐線阿武隈川

17時26分、定刻に仙台駅に到着しました。4時間41分はさすがに長かったですが、グリーン車内は落ち着いていて、疲れはあまり感じません。

ひたち仙台駅

「常磐線全線運転再開」の告知が出迎えてくれます。

常磐線全線運転再開

わずか9年で

2011年3月の東日本大震災から9年。福島第一原発事故が起きたときは、「常磐線を乗り通すことは、自分が生きている間にはできないのではないか」とすら思ったものです。それがわずか9年で復旧するとは、当時は想像もしませんでした。

それだけに、2020年のいま、東京から仙台まで在来線特急で移動できたことには深い感慨を覚えます。仙台駅のホームを踏んだときには、大げさでなく胸が熱くなりました。

復旧に尽力されたすべての方々に、深い敬意を表さずにいられません。(鎌倉淳)

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