2015年のユネスコ世界文化遺産登録の政府推薦が、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口関連地域」に決まりました。福岡県の八幡製鉄所など九州、山口県など計8県に及ぶ産業遺産です。文化庁と文化審議会が推薦する「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は見送られました。
2006年に公募制導入
かつて、世界文化遺産登録のユネスコ推薦に関しては、政府主導で行われてきました。しかし、2006年に公募制が導入され、世界遺産候補となる「暫定リスト」記載を希望する自治体が、それぞれ応募する形になりました。公募制導入以降、世界遺産推薦の選考過程は大きく透明化されました。
この2006年の最初の公募では、全国26県から24件の提案が文化庁に寄せられました。そして、世界文化遺産特別委員会の審査の結果、提案された中から4件、「富岡製糸場と絹産業遺産群」、「富士山」、「飛鳥・藤原」、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が選出され、2007年1月に、「暫定リスト」に記載されました。このうち「冨岡製糸場」と「富士山」は世界遺産登録が実現しています。
ちなみに、この2006年の公募に、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口関連地域(当時は『九州・山口の産業遺産群』)も立候補していますが、選に漏れています。
内閣府が独自推薦
この公募制の導入後、世界文化遺産の候補選びは、一貫して文化庁がまとめてきました。ところが、2013年には内閣官房が加わり、「明治日本の産業革命遺産」を独自に推薦したわけです。この背景には、産業遺産には民間企業の現役施設が含まれていて、文化庁では対応できないことが理由にあります。文化庁の推薦は文化財保護法が定める史跡や重要文化財であることが前提のため、企業の現役施設は推薦できないのです。
かくして、内閣官房地域活性化統合事務局の有識者会議が「明治日本の産業革命遺産」の推薦を決め、文化庁の文化審議会が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を推薦しました。世界文化遺産への各国の推薦枠は年1件のため、政府内で調整が行なわれました。世界遺産登録は地元産業などへの影響が大きいため、各地域からの陳情合戦は激しく、最後は菅義偉官房長官の「裁定」で「明治日本の産業革命遺産」に決まったとのことです。
「明治日本」が「長崎教会群」を逆転
内容を眺める限り、推薦書案の完成度は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」のほうが上です。「明治日本の産業遺産」は登録範囲が広すぎて、そもそも設定に無理があるようにも思えます。ですので、筆者も「長崎の教会群」が政府推薦になるとみていました。しかし、最後は政治的な決断で、「明治日本」が推薦を勝ち取りました。2006年の公募で出遅れた「明治日本」が「長崎の教会群」を逆転したわけです。
菅長官は「明治日本の産業革命遺産」を推薦したことについて、「日本がものづくり大国となる基礎をつくった歴史を物語る」と指摘しました。その指摘自体は確かに理解できるのですが、なぜ「長崎の教会群」でなく「明治日本」なのかの理由は明確ではありませんでした。
「復興支援に貢献する」
気になるのは、菅長官が、「明治日本の産業革命遺産」が岩手県釜石市の遺産も含むことについて、「復興支援に大きく貢献する」と期待感を示したことです。これは、学術的な根拠ではなく政治的な理由です。復興支援だけを考えて「明治日本」を推薦したわけではないでしょうが、多少なりとも考慮された可能性はあります。
「明治日本」にしろ「長崎の教会群」にしろ、内閣官房や文化庁において学術的な議論が積み重ねられたことでしょう。ところが、その最後の決定において、学術的でなく政治的な理由が考慮されたとすれば、とても残念なことです。復興支援だけでなく、別の「政治的な理由」が入り込んだ可能性も否定できません。
世界遺産条約の核は「顕著な普遍的な価値」であり、それを担保するのは学術的根拠であって政治的理由ではありません。選考過程から政治的要因を排除し、推薦決定過程の透明化がなされることを願ってやみません。