北陸・中京新幹線
北陸・中京新幹線は、敦賀市から名古屋市に至る新幹線計画です。全国新幹線鉄道整備法における基本計画路線と位置づけられていて、北陸新幹線と東海道新幹線を結ぶ構想です。計画の具体化はしておらず、着工予定も決まっておらず、開業予定時期も未定です。
北陸・中京新幹線の概要
北陸・中京新幹線は、敦賀~名古屋を結ぶ新幹線の基本計画路線です。在来線の北陸線・東海道線に沿う形です。
1973年に「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」に盛り込まれましたが、現在に至るまで、具体的な建設予定はありません。
北陸・中京新幹線の敦賀~米原間は、北陸新幹線敦賀以西のルート検討時に「米原ルート」として候補になっていました。しかし、結局、北陸新幹線は「小浜・京都ルート」に決定したため、敦賀~米原間の新幹線建設予定は、当面なくなりました。
ただ、東海道新幹線と北陸新幹線を結ぶ路線として、北陸・中京新幹線の建設構想は残されています。
北陸・中京新幹線のルートは、基本計画では敦賀市~名古屋市の約50kmとなっていますが、両市間の距離は直線距離でも約90kmあります。そのため、実際には、北陸新幹線敦賀駅から東海道新幹線米原駅付近までが建設区間とみなされています。この距離は約46kmです。
米原駅付近~名古屋駅間は、東海道新幹線との共用が想定されています。
北陸・中京新幹線の沿革
1970年の全国新幹線整備法制定後、全国で新幹線を敷設する計画が持ち上がりました。新幹線の誘致合戦は、当時日本各地で加熱しており、政府は1973年に、新幹線の整備計画策定に向けたルート選定の調査を全国的に実施しました。
1973年9月18日に、国鉄と日本鉄道建設公団による調査結果の概要が公表されました。全国の新幹線計画のほとんどが大きな論争なく決着しましたが、北海道新幹線と北陸新幹線の金沢以西については、国鉄と日本鉄道建設公団の間で意見が対立しました。
北陸新幹線については、当初、いわゆる「米原ルート」が有力視されていましたが、「若狭ルート」を推す意見もあり、最終的に田中角栄首相(当時)が最終判断し、「若狭ルート」が選択されています。
毎日新聞1973年9月19日付けによりますと、田中首相は「若狭、北京都の開発も考慮」したうえで、若狭ルートを支持したとしています。
その救済をする形で盛り込まれたのが、北陸・中京新幹線です。北陸新幹線から外れた米原ルートが北陸・中京新幹線として基本計画路線に盛り込まれ、1973年11月15日に北陸・中京新幹線の基本計画が決定しました。
しかし、北陸新幹線の敦賀以西は、そこで最終決着とはならず、その後も議論が続き、北陸・中京新幹線は、北陸新幹線の米原ルートとして検討されてつづけました。北陸新幹線が小浜・京都ルートで最終決着したのは、2017年のことです。そこで、敦賀~米原間が、基本計画路線の北陸・中京新幹線として再浮上してきたわけです。
そのため、北陸・中京新幹線が単独で検討されはじめたのは、最近です。2017年6月に、中部9県と名古屋市で構成する「中部圏知事会議」で、西川一誠福井県知事が北陸・中京新幹線の整備を検討する必要性を訴えたのが、ほとんど最初でしょう。この会議で、検討の場として、沿線の関係自治体でつくる事務レベルの調整会議が設置されることになりました。
今後、全国の新幹線基本計画路線が整備計画へと格上げが検討される際に、その中に盛り込もうという動きと言えます。
北陸新幹線米原ルートとして滋賀県が試算した資料では、敦賀~米原間に新幹線ができた場合、名古屋~金沢間が1時間7分に短縮されます。概算建設費は4161億円です。国土交通省の試算では5900億円です。
北陸・中京新幹線のデータ
営業事業者 | 未定 |
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整備事業者 | 未定 |
路線名 | 北陸・中京新幹線 |
区間・駅 | 敦賀~名古屋 |
距離 | 約46km |
種類 | 未定 |
軌間 | 1,435mm |
電化方式 | 交流25,000V |
単線・複線 | 未定 |
開業予定時期 | 未定 |
備考 | -- |
北陸・中京新幹線の今後の見通し
北陸新幹線の米原ルートとして、整備新幹線になり損ねた区間が、北陸中京新幹線です。その点で、すでに基本的なルート調査は終了しているのが、強みと言えば強みです。
ただ、現在の旗振り役は福井県で、通過県となる滋賀県はこれといった動きを見せていません。北陸新幹線のルート決定で、米原ルートを拒否し続けた福井県がいまさらそれを作ろうと旗を振っても説得力はいまひとつです。
今後、通過県となる滋賀県が、どの程度この新幹線整備に力を入れるかがポイントですが、現状の整備新幹線建設スキームが変わらないなら、滋賀県にとっては負担の大きさのわりにメリットの小さい新幹線です。そのため、見通しは明るいとはいえません。