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「青春18きっぷ」35年を新聞記事で振り返る(1)。「国鉄全線乗り放題きっぷ」はこうして誕生した

2017年は、青春18きっぷが誕生して35周年です。そこで、新聞各紙の35年間の「青春18きっぷ」に関する記事を拾いながら、その歴史をたどってみることにします。

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「フルムーン」に絡めて登場

青春18きっぷの前身となる「青春18のびのびきっぷ」が発表されたのは、1982年2月18日。当時の日本経済新聞(1982年2月19日付)は、こう報じています。

国鉄は一八日、鈍行列車を最長で五日間、乗り放題という企画切符「青春18のびのびきっぷ」を三月一日から全国で発売することを決めた。夫婦で八十八歳以上ならグリーン車乗り放題で、爆発的な人気が出た「フルムーン夫婦グリーンパス」に次ぐ若者向けのアイデア商品。

当時は、国鉄再建法が成立し、国鉄改革が進められていた時期でした。国鉄は売り上げ増を狙い、企画きっぷを矢継ぎ早に打ち出します。なかでも大ヒットしたのが、1981年に販売開始した「フルムーン夫婦グリーンパス」です。

青春18のびのびきっぷは、それに続く、国鉄の乗り放題企画きっぷ第2弾という位置づけでした。新聞各紙の報道も、フルムーンに絡めたものが目立ちます。

上記の記事は、以下のように続きます。

国鉄本社旅客局によると、「青春18のびのびきっぷ」は八千円。切符は一日有効切符が三枚と二日間有効切符が一枚の四枚(各二千円)つづり。

(中略)

旅客局は、切符の利用方法は(1)一人で連続五日間の旅行(2)有効期間である三月一日から五月三十一日までに途中滞在しながら旅行(3)一人で四回に分けて日帰り旅行(4)四人グループで日帰り旅行--などが考えられるという。

上記の記事の通り、第一回の有効期限は5月31日まででした。1日券と2日券の組み合わせでしたが、どちらも「2,000円」という位置づけです。

当時は、第三セクターや青函特例などはありませんでしたので、ルールはシンプルで、「この切符が使えるのは普通・快速両列車、連絡船の普通船室」とだけ説明されています。

また、記事では、こうも書かれています。

同局の試算によると、切符を連続して使うと、東京起点で西は鹿児島・西鹿児島、東は北海道帯広までの往復が可能だ。

現在のダイヤでは、青春18きっぷ5日間で鹿児島往復は可能ですが、帯広往復は不可能になっています。JR普通列車で旅をするというルールの範囲では、昔のほうがアクセスできる範囲が広かったわけです。

国鉄青春18きっぷ

「スカイメイトの鉄道版」

日経は、さらに1982年3月31日付でこう記しています。

「青春18のびのびきっぷ」(普通列車に限り八千円で全国一周可能)はヤング層を対象に、空のスカイメイト(三五%引き)の鉄道版をねらったもの

「スカイメイトの鉄道版」という表現は「学割(20%引き)よりもさらに割り引く」という意味合いでしょうか。「35%引き」という数字は、青春18きっぷを使用した場合の平均的な割引率をそのくらいとして狙っていた、とも感じられます。

実際、青春18きっぷ利用者の現在の平均乗車距離は、運賃に換算して約4000円程度ともいわれており、おおむね40%引き程度になっているようです。つまり、発売開始時の狙いは大きくは外れていなかった、といえそうです。

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鉄道で旅に出る習慣を

「青春18のびのびきっぷ」を企画したのは、国鉄旅客局です。当時、旅客局長だった須田寛JR東海相談役によりますと、「収益が悪化した国鉄が鉄道の旅を広めようと世代別の企画切符を提案」(朝日2012/06/24)したのがきっかけとか。

「若いときに鉄道で旅に出る習慣を身につけ、年を取っても鉄道を愛用するファンを増やすのが狙いだった」とのことです。

青春18きっぷが登場して、2017年で35年が経ちます。発売当時、青春18のびのびきっぷを握りしめて鉄道で出た若者のなかには、35年経っても鉄道旅行を続けている人が少なくありません。

そう考えると、「鉄道で旅に出る習慣」を付けさせようとした須田氏の狙いは、見事的中したといえそうです。

「のびのび」はなぜなくなったか

実際にきっぷの開発をしたのは、旅客局の営業課です。当時の担当者が、朝日新聞1999年7月26日付で、発売時の命名の理由を明かしています。

その長いネーミングには、「窓が開き、駅弁も買えて、地元の人と触れ合えるローカル列車に乗ることで、受験戦争や管理社会を生きる青年がのんびりした時間を見つめ直すきっかけになれば」との思いを込めた。

しかし、名称が長すぎる、という批判もあったようで、「青春18のびのびきっぷ」は、1983年春季より、「青春18きっぷ」と名称変更されました。『須田寛の鉄道ばなし』(JTBパブリッシング)によりますと、須田氏は、変更の理由として「いかにも子供向きの名前なので」と明かしています。

初回販売数は3万1000枚

青春18のびのびきっぷは、発売直後から好評を博しました。第1回発売の1982年の春季分の売り上げは、3万1000枚。1982年度は全体で7万4000枚を売り上げたと報じられています。同年の「フルムーン」は6万6000枚でしたので、販売枚数では初年度からフルムーンを超えました。

青春18のびのびきっぷは、当初は冬季はなく、春と夏だけでした。1984年から冬季も販売を開始。1986年度までの5年間で、累計71万枚を売り上げました(日経1992/03/05)。この頃から「車内改札したら過半数が『青春18』客だった」と車掌がこぼす列車が続出したそうです(朝日1999/07/26)。

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10年間で300万枚

最近の青春18きっぷは、1年間で60-70万枚を売り上げますので、「当初5年間で71万枚」という数字は、現在と比較すれば、それほど大きくはありません。青春18きっぷは国鉄最大のヒット商品の一つとも言われますが、実際にはJRになってから売り上げが伸びたようです。

国鉄として最後の販売となった1987年春には、全国で鉄道旅行ブームが起き、青春18きっぷは春の2ヶ月で9万枚を販売しました。ブームはJRになってからも続き、1989年度には、全国のJRで44万枚を売り上げます。

日経1992年3月5日付によりますと、1982~1991まででの10年間で累計300万枚が販売されたそうです。つまり、最初の5年で約70万枚、次の5年で約230万枚を販売したことになります。最初の5年間の3倍の数を、次の5年間で売ったのです。

230万枚を販売した5年間はバブル経済の時期と重なります。青春18きっぷという「節約チケット」も、好景気の後押しを受けて伸びたのかもしれません。

青函連絡船空知丸

「ムーンライト」の時代

バブル期に青春18きっぷの売り上げが急増した背景として、もうひとつ、夜行快速「ムーンライト」の拡大も挙げられるでしょう。

交通新聞1990年8月31日付は、「夜行快速列車、"安さ"うけ人気急上昇--JR西日本」という記事を掲載し、以下のように記しています。

JR西日本のムーンライトは三本。いずれも京都起終点に広島「山陽」、出雲市「山陰」、博多「九州」の名で走る。「山陽」が昭和六十三年暮れ、「山陰」が一年遅れて昨年暮れにデビュー。年末年始と、お盆期間の運転。「九州」は今年四月登場、これは毎日運転ながら十一月までのいわゆる季節列車。

(中略)

いずれも学生を中心とする若者の利用客が多く、全国のJR線普通列車乗り放題の「青春18きっぷ」で乗車できることもあって、鉄道ファンや旅行マニアの間で絶大な支持を受ける。(中略)この夏休み、乗車率一〇〇%を超した日もしばしば。

快速「ムーンライト」は、当時急成長していた高速路線バスに対抗する低価格の夜行列車として、JRが各地に投入していました。必ずしも青春18きっぷユーザー向けではなかったようですが、青春18きっぷ利用者には、とりわけ人気がありました。

なかでもJR西日本は「ムーンライト」の設定に熱心で、上記の「山陽」「山陰」「九州」のほか、「高知」「松山」も運転しています。

JR東日本も、1986年に新宿~新潟間の臨時列車として「ムーンライト」を投入、1988年3月ダイヤ改正で「ムーンライトえちご」として定期列車に昇格させました。

交通新聞1993年9月9日付は、「正確、快適、割安、若者中心に人気定着」として、「ムーンライトえちご」の記事を掲載しています。

かつて急行「佐渡」などで活躍した165系電車を使用、車内のアコモデーションにも改良を加えてグレードアップし、リクライニングシートを備えたグリーン車並みの設備となった。

(中略)

青春18きっぷが利用できるのも「ムーンライト」の人気を高めている。夜行なので通しで乗ると二枚必要だが、それでもトクトク。「夏休みは特に青春18きっぷで乗車する若い方が目立つようですね」(車掌)

こうした夜行快速の充実が、青春18きっぷ利用者の拡大に貢献したのは間違いありません。

そして、利用者層は、徐々に若者以外にも広がっていきます。(鎌倉淳)

>>「青春18きっぷ」35年を新聞記事で振り返る(2)に続きます。

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